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権利か、義務か

議員として、一番力が発揮できるのは、言うまでもなく議会です。
(だと私は思っています)
採決で立ったり、座ったりも大事ですが、何より、本会議や委員会での質疑こそが、私は大事だと思っています。
そこで質問したり、要望したからと言って、必ずしもそれが実現するわけではありませんが、私たちの発言と、それに応じた理事者の発言は公式記録としてしっかり残ります。
いい加減なやり取りは一切できません。
立ち座りのニ択を示すだけでなく、そこに至る自分なりの思いや理由、それでどういうことを狙っているのかを発信することもできます。
質疑の機会は限られています。
まずは本会議での大綱質疑。
各会派に所属議員数によって時間が割り振られ、それを会派内の数人が代表して使います。
私の場合、概ね2度の議会につき1回、大綱質疑の機会をもらっています。
これは人数で割ると、多い頻度で機会をもらっており、先輩方の配慮に感謝しているところです。
それと、毎議会(年4回)での常任員会での一般質問が30分。
私は今年度、健康福祉委員会なので、子育てや高齢者福祉、医療などに関する質疑を行っています。
他にも、予算審査、決算審査には、別途時間がもらえるわけですが、もちろんそれは限られたものです。
そんな中、少し「えっ!」と思うことがありました。
それは先日の、都市活力再生創出調査特別委員会でのこと。
特別委員会では必ずしも質疑があるわけではないのですが、今回は委員長の判断で「やろう」ということになり、私は意気揚々とそれに臨んだわけですが、、、、
どういうわけか、10人の委員のうち、3人が、質問しなかったのです。
与えられた時間を放棄したのです。
維新の議員が2人と、自民の議員が1人。
私は質疑の時間がほしくてたまらないのです。議員として、「一番力を発揮できる場所」だと信じておりますから。
与えられた30分に収めるにはどうすればいいか、頭を悩ますんですけどね。。。。
それを1分たりとも使わないとは。。。なぜ????
そこで思うわけです。
この「質問できる時間」とは、私たち議員の、権利なのか、義務なのか?
市民に選ばれたので、私たちは公式の場で思うところを述べ、行政にそれを質問し、何かを要望したりする権利があるのか。
あるいは、市民の思いを背負って、それを議会での質問を通じて、行政に届ける義務があるのか。
せっかくの権利を放棄するのなら、それは「もったいないなぁ」って話かもしれませんが、
義務を放棄するのなら、それは「もったいない」で済む話ではないわけです。
今回、質問をされなかったお三方には、どのような事情があったかはわかりません。
会派で他に質問される方がいたから、その方に思いを託されたのかもしれません。
(でも、会派で多くの委員がいるのは、多くの有権者がその会派(政党)の候補を選んだからであって、その分、訴えるべきことも増えると思うんですよね。。。)
あるいは、委員会前にあまりに忙しい何かがあって、質問を作るどころではなかったのもしれません。
だとしても、一年間続いたこの特別委員会で、最初で最後の質問の機会。
それを行使しなければ、何のためにこの特別委員会があったのか。
講師を招いて講義をしてもらったり、視察に行ったり。。。。
だらだらと書きましたが、
私は、議員の質疑の時間というのは、権利であり、義務でもあると思うのです。
むしろ、義務としての側面が強いと思うのです。
市民の皆さんに選ばれ、税金で報酬をもらい、税金で質疑をする場(議会)を運営してもらっているのです。
堺市議会において、議会に立てるのは、わずか48人。
権利を頂けた有り難さをしっかりと意識し、
義務を背負う責任感を十分に受け止めて、
これからも議会の質疑に臨みます。
間違っても、それを放棄するなんて、、、考えられません!
堺市議会議員  ふちがみ猛志
意見・提案