市長の姿勢~大綱質疑①
先週金曜日に大綱質疑に立ちました。
永藤新市長のもとでの、初の大綱質疑でしたから、いつも以上に想いを込めて準備をしました。どんな質疑になったのか、何回かのブログに分けて報告していきたいと思います。
まず冒頭に指摘したのが、市長の姿勢についてでした。
去る11月19日に、大阪弁護士会が会長名で「児童自立支援施設」に関する声明を出されました。
端的に言えば、永藤市長が就任早々に「建設計画の中断」を発表した児童自立支援施設について、「建設計画を再開せよ」というものでした。弁護士会が、地方行政に対して、具体的に政策変更を求めることは、異例と言っていいでしょう。(それほどに、子どもの権利の観点から、児童自立支援施設は重要)
私が取り上げたのは、それに対する記者会見での市長のコメントでした。
永藤市長はこの声明を「感情的」だと批判したのです。
そもそも、市民が行政に声を上げる時、感情的であってはいけないのでしょうか?何が悪いのでしょうか?
とりわけ、児童自立支援施設は、子どもの人生に係る話です。
私自身、子どもの話になるとどうしても感情的になってしまいます。
虐待の話をすれば、「これが我が子なら」と想像しますし、
不登校の話をすれば、「学校に行きたくない」と休みたがることもある長男のことを考えます。
非行の話をすれば、すぐに手が出てしまう次男のことが、ほんの少し頭をよぎります。
弁護士会の声明はご覧の通り、極めて冷静なものだと思います。
しかしそれでも、日頃から、課題を抱える子どもと向き合っている弁護士という立場から、色々な感情がそこに込められたことでしょう。
私も児童自立支援施設の話をすれば、保護司として向き合った子どもたちや、その家族のこと、これまで接してきた、社会的養護の現場で奮闘する方々のことを思い浮かべ、どうしても感情的になってしまいます。
市長がどれだけの子どもたちや、それを支える人たちと向き合ってきたのかは知りませんし、83万市民には、83万通りの感情があるので、その感情を理解できなくとも仕方ありません。
しかしたとえ理解できなくとも、それを「感情的」と否定するのではなく、その感情に寄り添おうとする、それを理解しようとすることが、市長にとって大事な姿勢なのではないでしょうか。政策判断がどうなるにせよ、です。
少なくとも、私は、政治家としてそのように心掛けています。
なぜ市民の声を「感情的」と一蹴したのか。
なぜ「重く受け止める」と言えなかったのか。
自分の判断に対して、一定の権威のある団体から理路整然と反論され、謙虚に受け止めることができず、過剰反応してしまったのではないでしょうか。
それこそ、市長の「感情的」な反応だったのではないでしょうか。
言葉尻を捉えるような話ではなく、私は市長としての姿勢の問題だと思っています。
今後とも、市民の声にこのような姿勢で向き合っていくのならば、堺市政はどんどん市民と乖離していくことでしょう。
そのようなことを指摘し、私は大綱質疑に入ったのでした。(質疑の内容は、順次、次以降のブログで)
堺市議会議員ふちがみ猛志