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平田多加秋さんを偲んで

本日、平田多加秋さんの告別式が執り行われました。

平田多加秋さんは、堺市議会議員を6期24年務められ、堺市議会議長をも歴任された方です。

通夜・告別式には、それぞれ軽く1000人を超える方々が集まり、またそれは単なるお付き合いによるものではなく、たくさんの方が涙を流し、心から、その死を悼んでいました。「ご遺徳が偲ばれる」とは、まさにこのことだと、そう思える式でした。

そんな平田多加秋さんは、今年の四月をもって引退され、私とは、共に議員として仕事をする機会がありませんでしたが、大変お世話になった方でもありますので、追悼の意を込めて、ブログに思いを綴りたいと思います。

以下、親しみを込め、多加秋さんと呼ばせてもらいます。

多加秋さんとの出会いは、4年ほど前です。

当時、私は民主党衆議院議員の秘書をしており、選挙区にいる市議会議員であり、しかも無所属だった多加秋さんは、職務上、アプローチすべき(味方に引き込むべき)相手でした。

私は幾度か自宅を訪問し、その度、いろんな話をしました。政治の話も、他愛もない話も。

そして、彼の口から出たのが、

「民主党は嫌いやけど、お前は好きやから、いつでもウチに来い」

だったのです。

図々しくも、度々お邪魔しました。

気に入った本を貸してくださったり、自作のハンコをくださったり。

筆まめな多加秋さんは、手紙の最後に押すハンコを自作していて、「おまえも『たけし』やから」と、ご自身が作り、使用していた「た」というハンコをくださったのです。

その後、私は仕えていた議員が落選し、無職になったのですが、その時に舞い込んだのが、「竹山市長の事務所で働かないか」という話でした。

同窓の先輩から持ち掛けられた話でした(私も竹山市長も、同じ高校出身)。

その時に、背中を押し、竹山市長に「渕上はいいやつだ。秘書にすべきだ。」と推薦してくれたのが、多加秋さんでした。

その後も、市長秘書となった私に、いろんなアドバイスをくださり、時に相談に乗ってくださいました。

市長選挙を経て、「いざ、自分も」と、市議会議員選挙への活動を始めようとした時、それを励ましてくれたのも、多加秋さんでした。

立場上、表立って応援して頂いたわけではありませんが、私を応援して下さった方の中には、多加秋さんの親友もいました。「多加秋さんが可愛がっている若いやつだから」ということもあったでしょうし、私の知らないところで、多加秋さんが声をかけてくださったのだろうとも想像しています。

そもそも、「市長秘書だったから」応援してくれた人がたくさんいました。

そういう意味では、多加秋さんがいなければ、今の私、堺市議会議員渕上猛志は、いなかったのかもしれません。

心の底から感謝しています。

私と多加秋さんは、必ずしも、政治信条のすべてを一にするわけではありません。

しかし、多加秋さんは、そうしたものより、「人間としてどうか」というところに、目を向ける方だったように思います。

多加秋さんの告別式には、ご自身がかつて所属された自民党(息子さんも現在所属している)はもとより、共産党関係者の参列、そして弔電が見受けられました。普通の政治家では考えられないことです。

それは、政党や思想信条の域を超えて、堺がどうあるべきか、あるいは人間としてどうなのか、ということに重きを置いて、偏見にとらわれず、視野と人脈を広げてこられたことを示すものだったと思います。

(故人に大変失礼な表現かもしれませんが)一方で、多加秋さんのことをよく言わない人も、私の周りにはいます。

しかしそれは、多加秋さんが政治家として、決して八方美人にならず、自身の主義主張をはっきりと述べ、それに従って行動してきた証拠でもあると思います。

選挙の洗礼を受ける立場として、批判を恐れ、誰からも好かれようとしてしまうあまり、自分を見失いがちになることもあります。

そうではない多加秋さんの姿勢に、感ずるものがあります。

本当に、面倒見のいい方でした。

私や、多くの若い政治家に目を向けて下さいました。

政治家だけではなく、市の職員に対しても、地域の若者に対しても、そうだったのだと思います。

それは、この度の通夜・告別式を見ればわかります。

私は多加秋さんのようになりたいと思います。

それは、思想信条や、政策のことではなく、しっかりと自分の意志を持ち、批判を恐れずに行動し、そして、自分より若い人間、後進にしっかりと目を向け、心を配るということです。

何度も多加秋さんには怒られました。

これからも、「おまえ、そんなん言うてたらあかんぞ」と怒られることもあるかもしれませんが、その批判も恐れず、多加秋さんにも認められる政治家になりたいと思います。

どうかその日まで、雲の上で温かくお見守り下さい。

欲を言えば、せめて一期四年が終わるまではご指導頂きたかったですし、もっと一緒に酒を酌み交わしたかったのです。
一週間前にご一緒したのが嘘のようですし、あの時もっとお話ができていればと、つい思ってしまいます。
そんな思いをグッと堪え、頑張りたいと思います。

今まで本当にありがとうございました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

堺市議会議員  ふちがみ猛志

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