当事者だからわかる子育ての苦労
保育園に子どもらを送るのは、私の役割。
毎朝、四才の娘と、二才の息子を、車で送る。
先週、かなりキツい朝があった。
もともと保育園嫌いの娘。
「保育園嫌やー!」と泣くのが毎朝の日課のようになってるわけだが、車に乗っても泣き止まず(諦めず)、保育園の前についても泣きわめいたまま。
道路にへたり込み、私の足にしがみつき、保育園に行くのを阻止すべく、最後の抵抗を試みる。
そのような強烈な妨害が入るから、もう一方の弟をチャイルドシートから下ろすのも一苦労である。
保育園に次々登園する保護者の方々なら、哀れみの目が向けられる。
私は娘を半ば無理やり抱え上げ、弟の手を引き、保育園の入り口に向かう。
私に抱きかかえられたまま、当然のように、娘は暴れまくる。
やはり私も気が焦っていたのだろう、そして娘に気を取られていたのだろう。
つい、歩みが早くなってしまい、園の入り口に入ったところで、二歳の息子がこける。
息子も大泣き。
もうこっちが泣きそうだ。
園の先生方が、修羅場と化した私の周りに集まる。
それでも、毎朝やる二人の子どものそれぞれの教室での、荷物のセット(着替えを引き出しにいれたり、コップや歯磨きやタオルを所定の位置にセットしたり)は私がやらねばならない。
先生が息子の面倒を見てくれたが、激しい抵抗をやめない娘との作業は、時間がかかること、この上なし。
結局、いつも10~15分ほどで終わる登園時の作業も、この日ばかりは倍ほどかかり、何よりも、やむを得ないとは言え、嫌がる娘を保育園に無理やり置いてきたことに、何とも言えない罪悪感、疲労感が私を襲う。
9時すぎに事務所に入ったものの、「さあ、仕事(活動)だ!」とはなかなかならず、しばし呆然とする私。
子育てをしながら仕事をする。
毎朝、こんな苦労をした上で仕事をしている人なんて、いくらでもいる。
でも、私も当事者になるまで、こんなに大変だとは知らなかった。
サラリーマン時代、まだ私には子どもがおらず、一方で子育て中の部下がいつも大変そうにしていた。
今思えば、その気持ちがわかっていなかったし、今ならもっと理解し、職場でもっとバックアップしてあげられた気がする。
言葉で知るのと、体感するのとでは全然違う。
子育てと仕事の両立も、
そこに男性が参画することも、
もはや当たり前となった昨今。
でも、社会や企業の中核を担う世代で、それを経験した人は少ない。
だって、一昔前は、当たり前ではなかったんだから。
中核世代がより高齢である、政治の世界は尚更。
少子化が政治の最重要課題となっている今、その子育て世代の政治への参画は不可欠であり、私もその当事者として、声をしっかりと届けたいと思う。
そんな朝の大変さが、政策に魂を宿すというか、かゆいところに手が届く、微妙な違いに必ず出てくると思っている。
ちなみに「当事者だからわかる」は、何も子育てに限った話ではない。
高齢者や障害者の福祉、その家族、何でもそう。
だから、政治家ももっと多様な立場の人が参画していいと思う。
その中で、とりわけ子育て世代は、まだまだ少ないと感じていて、そこに一つの使命感をおぼえている。
ふちがみ猛志