児童自立支援施設問題から見える維新の政治姿勢
先日、市民団体による「市政チェック学習会」に出席し、建設が中断された児童自立支援施設について意見を求められた際、「この件には、象徴的な維新の政治姿勢が5つ見える」とスピーチさせてもらいました。
せっかくですから、そのことをブログにもまとめてみたいと思います。
まず、児童自立支援施設については、これまでもブログに書いて参りましたが、「非行した子どもや、親から虐待を受けるなどをして生活習慣が身についていない子どものための入所施設」です。福祉の最後の砦とも言われる施設です。政令指定都市には必置義務が課せられています。
永藤市長は、就任2か月余りの8月22日、この施設の建設計画の中断を発表したのでした。
そこから見える「象徴的な維新の政治姿勢」とは・・。
①福祉より金
お金を理由に、極めて重要な福祉の施設を切り捨てたということです。建設コストや維持コストはもちろんかかります。しかし、繰り返しますがこれは「政令市の必置施設」です。「お金がかかるからやめる」という類のものでもありません。
また、こうした社会的養護の分野については、「お金をかけなければ、むしろ将来の負担が大きくなる」ということが、多くの有識者から指摘されています。(虐待や非行が連鎖することによる社会的コストは甚大)
②検証を恐れない
そもそも、この施設を作るように求めたのは、橋下知事(当時)です。松井知事(当時)もその姿勢を貫いてきました。また、竹山市長(当時)が建設を躊躇していた頃には、維新の堺市議が議会で建設を求めてもいたのです。そして何より、維新の会も含め全会一致で建設予定地が購入されているのです。こうした過去の経緯、自分たちの言動を顧みず、簡単に反対の立場にまわれるあたり、「過去を検証されることを何とも思っていない」「議会の重みをわかっていない」と思わざるを得ません。
ちなみにこうした姿勢は、百舌鳥古墳群ガイダンス施設の建設中止でも見られたものです(永藤市長は、府議時代に、建設を条件にした、大阪府から堺市への土地売却に賛成)。
③選挙至上主義
児童自立支援施設をいざ作るとなると、建設予定地周辺では、反対の声が上がりました。市民には馴染みの薄い施設ですし、当然かもしれません。本来であれば、全会一致で建設計画が進んでいる案件ですから、議員は市民の理解を得るよう努力すべきものです。しかし、選挙が近づくと、維新の議員は建設を批判するばかりか、地元説明会では「維新は議会で反対した」と虚偽の発言をし、「永藤市長が誕生すれば建設を止められる」とまで言うようになりました。こんなことまで選挙に利用したことには、私も大変驚きました。
④非現場主義
永藤市長は、建設中断を発表するまでの間に、どうやら児童自立支援施設に足を踏み入れたこともなかったようです。発表から9日後、このことが議論されるであろう議会が始まるわずか2日前に、永藤市長は大阪府の児童自立支援施設「修徳学院」を訪問します。本来ならば、建設中断の判断の前に施設を訪問し、現場の声を聴くべきでした。また、それは同施設だけではありません。子ども相談所、中学校の生徒指導、この施設に係る「現場」は数多くあります。議会で市長は、中学校にすらまだ足を運べていないことを明らかにしました。現場を見ずしての、「机の上の判断」だったのです。
⑤木を見て森を見ず
永藤市長は、児童虐待防止に全力を挙げるとして、「子ども相談所の専門職倍増」を打ち出しました。いくつかの懸念はあるものの(ここでは割愛)、この姿勢自体は評価すべきものと思います。しかし、児童虐待防止は、子ども相談所だけでできるものではありません。学校、保育所、医療機関、保健センター、警察、、、と数多くの機関が関わります。そして、児童自立支援施設も、虐待の連鎖を防ぐ、あるいは目を摘むという点で、重要な施設です。子ども相談所には多額の予算を投じる一方で、児童自立支援施設はお金を理由に建設を中断する。目立つところには目を向けるが、社会的養護・虐待防止の全体像は見えていない。まさに「木を見て森を見ず」です。
これらの5つの政治姿勢は、何もこの児童自立支援施設に限らず、維新政治の象徴的、典型的なものだと私は思っています。
ただ、今回の件に関して言えば、様々な政治状況や、当選後間もないことなど、永藤市長側に「仕方ない」と思える事情もありました。
ぜひ、市民の命と現場を預かる、責任ある市長として、こうした姿勢は改善して頂きたいですし、私も機会があるごとに指摘していく所存です。そしてその中で、児童自立支援施設への判断が見直されることを期待したいと思います。
堺市議会議員ふちがみ猛志