不登校の子の数を減らすという目標
こんにちは。堺市議会議員(堺区)のふちがみ猛志です。
私はこれまでも不登校の当事者(保護者)であることを、何度かこのブログでも書いてきました。
(過去ブログ「不登校について父として議員として」)
もはやクラスに1人以上が不登校という時代ですから、何も珍しい存在ではありません。
さて先日、ある学校の校長先生と会話をした時、学校の目標に「不登校の子を〇人減らす」というようなものを掲げていると聞きました。私は当事者としてその場で「それはやめた方がよくないですか」と言いました。
教育者に対して実に生意気な素人でしたが、先生はそれを聞き入れてくれました。(聞く耳を持った素晴らしい先生です)
なぜ「目標にすべきでない」と思ったか。それはこういうことでした。
そもそも不登校とは?
不登校は学校に行かない、行けない状態、、、、、誰でも知っていることですが、じゃあ、『どれくらいから』が不登校になるのか、ご存じですか?
文部科学省は、「年間の欠席日数が30日以上となった状態」と定義しています。病気や経済的理由などの特別な事情による欠席は除外します。
だいたい、月3日ですね。
案外ハードルが低いと感じる人が多いのではないでしょうか。
週のうちの4日は通っていても、残る1日を「いやだー!」と休んでいる子は不登校児童・生徒にカウントされるのです。
中には「すべての日を欠席」なんて子もいるわけで、「不登校」と一言で言っても、ずいぶんと幅があるわけです。ここがミソです。
不登校はリハビリ期間
私がこれまでに読んだ不登校関連の書籍で一番印象的だったのが、不登校新聞編集長の石井志昂さんの『「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること』です。(子どもの不登校で悩まれている方は、ぜひ読んでみてください)
石井さんは著書の中で、「不登校は一番苦しい時期を脱したサイン」とおっしゃっています。不登校になる直前の、「学校に嫌々行っている時期」が一番苦しいということです。
私も2人の不登校息子とのやり取りの中で、ずいぶんと葛藤がありましたが、今はこの石井さんの表現がしっくり来ています。
不登校はその苦しい時期の心身を、通常の状態に戻していくリハビリのような側面もあります。苦しい期間が長引けば長引くほど、その後のリハビリも長引いてしまいます。
スポーツ選手もそうですよね。最近では身体の調子がおかしいと、無理をさせずに休ませますよね。無理をさせると、大きなケガにつながり、長い時間休まないと行けなくなる。大人の世界では、すぐにわかることです。
ですが、子どものことになると、「休ませると癖になる」「このままでは不登校になる」と、リハビリを拒絶し、無理やりにでも学校に行かせようとしてしまうのです。「苦しい期間」を長引かせてしまうのです。
目標に掲げるということ
学校(組織)として目標に掲げてしまうと、先生(組織構成員)は当然「達成せねば」と思い、そのように行動することでしょう。
目の前に「明日学校に行こうか、行くまいか」という子がいれば、「不登校にすまい」と説得してしまうことでしょう。
もちろん、それがいい方向に進むこともあるでしょうが、前述した通り、苦しい期間を長引かせ、むしろその後の不登校をさらに長いものにしてしまいかねません。
不登校対応で大事なのは、「不登校を受け入れること」であり、それをもって「長い目で」「子どものペースで」付き合うことだと思います。
それが結果的に不登校を減らす、不登校の期間を短くする、あるいは一人ひとりの子どもの状況を改善することに繋がると思います。
このような対応は、毎年度(短期的に)成果がチェックされる「組織目標」とは、相容れないものだと私は思います。
実際に我が子の場合
私の上の息子は、2年前にどっぷりと不登校になりました。学校にはほとんど行けず、世間がイメージする不登校そのものでした。
※このイラストほど暗い感じではありませんでしたがね(^^;;
その後、先生方の素晴らしいサポートもあって、今は本人なりのペースで、短時間ではありますが、教育支援教室や学校の別室に通えています。
統計上は今も不登校のままですが、2年前の「どっぷりと不登校」時代よりも、はるかにいい状況です。
何より、「どっぷりと不登校」になる前の何か月かとは、比べるべくもない状況です。あの時は「不登校」にはカウントされていなかったはずですが、毎朝が「学校に行くか、行かないか」で修羅場のような我が家でした。息子にとっても私たち夫婦にとってもしんどい時期でした。
※イラストは女性ですが、、妻ではなく私がかつてこんなことをやってしまいました(反省)。
下の息子は昨年度に不登校となりました。週1日2時間程度の別室以外は学校に行けない状態が半年くらい続きました。そこから今は週3.4日くらいは通えていますし、機嫌よく通える日もあります。ただ、それでも週1の欠席ですから、統計上はまだ不登校です。
あと一息で「不登校」ではなくなる気もしますが、今急がせると、昨年度の状況に逆戻りするようにも思います。なので、子どものペースを見守っています。
もし、この状況で「不登校児童〇人削減」などという組織目標(=大人の事情)があったならば・・、先生は「なんとしても年度末までに」なんて気持ちにもなってしまうかもしれません。子どもにとってはどうでもいい話なのに、それでペースを乱されてしまうのです。
不登校の状態は様々
同じ「不登校」という扱いでも、その子の状態が千差万別であることは、私の2人の息子を見ていてもよくわかります。
毎日家にこもっている子でも、しんどい状態の子と、案外そうでもない子がいます。
「月3日以上の欠席」が不登校なわけですから、月3日欠席~毎日欠席の幅はあまりに広く、家にいる日数が同じだったとしてもその過ごし方は様々です。
極端な話をすれば、
不登校の子が10人減っても、不登校(リハビリ)に入れず苦しみながら学校に通っている子が20人増えれば、その学校の教育がうまくいっているとは言えません(でも削減目標は達成するかもしれません)。
逆に不登校が10人増えても、その10人が週何日かでもマイペースで学校に通えて、不登校でなかった時期よりも心身の状態がよく、学校を「週何日かの居場所」と思えていたならば、学校にとっては大きな成果だと言えるはずです。
数値目標の限界
こうなってくると、不登校に限らず、教育に数値目標を適用すること自体に無理があるように感じてしまいます。子どもの心のうちや、千差万別のその状態を一つのものさしで測るのは、やはり不可能です。
ましてや組織全体でそれを測るなど・・・。
典型的な例は、「テストの平均点」です。
これも極端な話をしますが、
30人のクラスで全員が60点。つまり平均点は60点。
それが翌年度、20人が100点を取れるようになったが、10人はさっぱりついていけなくなく0点に。
このケースで平均点は67点となり、7点アップですが、そのクラスの教育はうまくいっていると言えるでしょうか。
テストという数値化された世界ですらそうなんです。
理想論を掲げるようではありますが、、、
私はどこまでいっても「全体」ではなく、「一人ひとりの子ども」に寄り添える教育、「数値」ではなく「数値で示せない子どもの心のうち」に目を向けられる教育であってほしいと思っています。
それを改めて思い直した不登校と目標設定の話、ある校長先生とのやりとりだったのでした。
堺市議会議員ふちがみ猛志
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