堺市議会条例の改正について
去る2月議会の最終日に、堺市議会条例の改正案が提出され、賛成多数で可決されました。
私がその案に賛成したことについては、少なからぬご批判も頂戴しましたので、時間が経ってしまいましたが、このブログに私なりの見解を残しておきます。
結論から申しますと、
①案そのものは、現行制度(※)よりも改正案の方が妥当だと考えている。
②ただし、提出に至るプロセスには問題があったと考えている。
③最後は政治的に判断した(せざるを得なかった)。
ということです。
おそらく皆様も、人生のあらゆるシーンで、もちろん仕事の関係も含め、「これまでの『すべて』の決断が『100%納得』した上でのこと」ではなかったろうと思います。迷いながら、あるいは不本意ながらも下した決断が、いくつもあったことでしょう。その点で、私自身も今回の採決は、非常に悩みながら、心に重いものを残したままでの決断でした。
(※)このブログでは2020年3月までのものを「現行制度」、すでに可決されたものを「改正案」と記載します。
では、
■議会運営委員会とは?
■現行制度と今回の改正案
■現行制度の問題点
■少数意見の排除なのか
■プロセス上の問題
■私の判断について
■最後に
という順に説明させてもらいます。
■議会運営委員会とは?
一言で言えば、議会の準備会です。(以下、議運と略します)
議会での発言の順番や時間、取り上げる議題を決める場です。また、議会のルールなどについて話し合う場です(条例改正を伴うものについては、「決める」のは本会議)。
48人の堺市議会議員のうち、現行制度では10数人が、改正案では11人が、この議運の委員となります。
■現行制度と今回の改正案
その議運の委員の選出方法は以下の通りです。
【現行制度】各会派の人数に応じて、以下の通り割り振り。
15人以上の会派… 4人
10~14人の会派… 3人
6~9人の会派… 2人
3~5人の会派… 1人
2人の会派及び会派に属さない議員のすべてを代表して、これらから1人
となっています。
最後の部分が、今回の論点でした。
【改正案】定数を11とし、各会派の人数に応じて比例配分。
そこで、現在の各会派の議員数と、それに伴う【現行制度】での議運の委員数をご紹介しますと、
維新 18人 →4人
公明 11人 →3人
自民 8人 →2人
堺創志会 5人 →1人
共産 5人 →1人
長谷川議員(会派に属さない議員) 1人 →1人
となります。
一方、これが改正案になりますと、、
維新 18人(4.125)→4人
公明 11人(2.521)→3人
自民 8人(1.833)→2人
堺創志会 5人(1.146)→1人
共産 5人(1.146)→1人
長谷川議員 1人(0.229)→0人
となります。()内は、11人の委員会定数を、各会派に比例配分した数字です。
これにより、会派に属さない議員は、実質的に議運に入るのは不可能となります。少なくとも、3人以上で会派を組まなくてはならないでしょう。
これを「少数派の排除」「民主主義の破壊」と批判する意見があり、感情的には私もこの批判を一定理解できます。
■現行制度の問題点
しかし、現行制度には、必ずしも「民主的」とは言い難い問題点もあります。
見ての通り、比例配分されていませんから、48人の中の多数派が、議運で多数派になるとは限らず、ねじれ、それも大きなねじれが発生する可能性があるのです。
現行制度では、議員数18人の維新は、現行制度では議運委員数が4人です。
仮に、その維新が、維新A、維新Bという具合に、6人ずつの3つの会派に分かれた(あえて分けた)とすると、6人の会派には2人の委員数が割り当てられますので、維新A、B、Cの合計で6人の委員数を獲得します。
これに長谷川議員を加えますと、議運委員数は7人です。残りの、公明・自民・堺創志会・共産の委員数に並びます。
19人の議員で、人数にして1.5倍以上の残り29人の議員と、議運においては、まったく同等の議決権を得てしまうわけです。
こういった抜け道の存在は、やはり私は制度の大きな欠陥だと思うのです。
■少数意見の排除なのか
少数意見を尊重することは、民主主義の重要な要素です。
ただしそれは、「少数派により多くの議決権を割り振ること」ではなく、「少数派にも確実に意見表明の機会を確保すること」なんだと、私は思っています。
その点においては、改正案で、会派に属さない議員も、「委員外議員」として発言することができます。これは、常任委員会と同じ仕組みです。堺市議会には、総務財政、健康福祉等々、6つの常任委員会があり、48人の議員がこれに分かれて所属します。よって、5人以下の会派については、「誰も所属させられない常任委員会」ができてしまいますが、こうした場合には、「委員外議員」として質疑に立つことができます。
常任委員会での質疑は、議員1人あたり30分という持ち時間が決められていますが、それとは別に15分与えられるわけです。(すべての常任委員会に委員を配置できる)6人以上の会派には、実質的には認められていない仕組みであって、少数派の意見表明の機会の確保に資するものです。
一方、委員外議員は、意見表明はできても議決権はありません。これも、議運の改正案と、現在の常任委員会の仕組みは同じです。
議決権はあくまでも、議員数に応じて平等に。しかし、意見表明の機会は、少数派に手厚く、というのが私の考えるところです。
もう一つ加えて言うならば、常任委員会にしろ、議運にしろ、そこだけの議決で物事が決まってしまうわけではなく、そこを通過しても、48議員による本会議で採決が行われますから、「議決の機会が一切なくなる」というわけではありません。(逆に、現行制度では、本会議では可決しそうな議案を、先に述べたような抜け道を使って、19人で議運の場で妨害してしまうことも、理屈上はできなくはないのです。)
よって私は、意見表明の機会を確保しつつ議決権を平等にした改正案そのものについては、それが「少数意見の排除」にあたるとは思っていません。
■プロセス上の問題
しかし、今回の改正案が問題のないものとも思っていません。それは、「突然に」この改正案が提出されたことです。
議員が議会に議案を提出する場合は、慣例として、その会期の「2日目の本会議」に上程することになっています。今回の2月議会にあてはめるなら、2月26日です。そうして、そこから数週間の、各会派が熟慮するための時間が確保され、最終本会議(3月27日)に採決されることとなります。ところが今回の案は、上程されたのがその最終本会議であり、公式にその案が示されたのが、その2日前の議運だったのです。
これまでは、同様に「突然提案された議案」については、いずれの場合も、議運でその議案の緊急性の有無を確認し、緊急の議案だと認められれば上程されるというプロセスを経ていました。しかし、今回は議運でその議論がろくに行われることもなく、本会議に突入することになったのです。
この点については、反対した共産党、長谷川議員から猛烈な抗議があり、それは「ごもっともな主張」でした。
慣例はあくまで慣例だとして、提案会派は「制度的に瑕疵はない」と主張したわけですが…、率直に「苦しい答弁」だと感じました。
■私の判断について
この議案に対して、会派としてどう対応するのか、賛成するのか、反対するのか、あるいは、、、という議論がありました。ただ、それは非公式の話し合いですし、私だけのものではありませんから、詳細の内容はこのブログでは伏せさせてもらいます。
ここで申し上げられるのは、一つは、私自身には「反対すべき」という思いがあったものの、私自身が「会派としてできるだけ足並みを揃えるべき」と考え、「様々な政治情勢から、賛成もやむなし」と判断したということです。二つ目は、その判断のタイミングが、3月25日の議運の直前だったということです。
さらに付け加えるならば、その判断の後の議運で「緊急性の有無が、実質的に議論されなかったこと」によって私の判断は揺れ、本会議での苦しい答弁を見て、さらに揺れたということです。それほどに微妙な判断であり、苦しい判断でした。
ただ、その都度、一度した判断を覆して反対にまわることはしなかった。それが、私自身の政治判断でした。
■最後に
今回の件で、「なぜ反対しなかったのか?」と少なからぬ方々からお叱りの声を頂きました。私自身が、自分の判断を悩ましく、苦しく思っているほどですから、その声も自然なことだと思います。
また、ここまで書き連ねても、「政治判断」の核心部分を記してはおりませんから、このブログだけでご理解を頂けるものでもないと思います。
私がここでできるお約束は二つです。
一つは、本件について「詳しく聞かせてほしい」という方には、個別にお会いした上で、可能な限り誠意を持って説明するということ。申し訳ありませんが、ブログを始めとするSNSは、その説明の場として、相応しいとは思っていません。
もう一つは、政策実現という成果でお返しできるよう、全力を尽くすということです。
このような「苦しい政治判断」は、政治家をしていれば、遅かれ早かれ、大なり小なり経験するものだろうと思います。これを糧にして、政治家として成長したいと思いますし、そもそもこうした苦しい政治判断をせずに済む政治状況を、自分から作っていけるような政治力、人間力を培っていければと思っています(これは果てしない道ですが・・)。
堺市議会議員ふちがみ猛志