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自己責任か否か

イスラム国による人質殺害で、邦人誘拐事件は最悪の結果となった。

この10日間ほど、マスコミはこの話題で持ちきりで、私も色んな方にお会いする中で、よくこの話になった。
そこで出てくる言葉が、「自己責任」。
自らの意思で危険な地域に行った人に対して、莫大な労力をかけて、果たして国が助けようとしなければならないのかと。
結論から言えば、私はその考えに対して「否」。
テロの条件を飲むか否か、あるいは交渉をするか否かは別として、命を守るために、「可能なかぎりの」手を尽くす。
これは、国家として当然の使命と考える。
だって、自分からあんな危険なとこに行ったんでしょ?自己責任じゃないか。
そんな声はたしかに根強い。
じゃあ、自己責任と、そうじゃない境界線ってどこ?
自己責任を主張する人たちは、どこからが自己責任で、どこからが国が動くべきだと考えているんだろうか。
イスラム国の支配地域が自己責任なら、
タリバンが活動するアフガンは?
そのアフガンの中で比較的政府が統制できている首都カブールは?
反政府勢力が活発ながら、油田関係を中心に日系企業も進出しているアルジェリアやナイジェリアは?
誘拐事件が多いコロンビアは?
女性への拉致・暴行事件が社会問題となってるインドは?
反政府運動が活発な中国のチベットやウイグルは?
夜のニューヨークのダウンタウンは?
線引きなんてできるわけがない。
『どこにいようと、日本人の命が危うい時は、必ず、日本国政府が「可能なかぎりの」努力をしてくれる。』
その担保があるからこそ、
私たち日本人は、世界で仕事をし、旅行をし、現地で活躍することも、人を助けることもできる。
それが日本の豊かな暮らしや、日本への国際的評価にも繋がってきた。
もちろん他国には主権があり、日本には憲法がある。
できることには限りがある。
だがしかし、決して見捨てたりはしない。
できるかぎりを尽くす。
そんな国家、そんな公、そんな行政、そんな政治であってほしいし、そういうスタンスで、私は政治に関わりたい。
  ふちがみ猛志
意見・提案