薬物依存症とアウトリーチ型福祉
一昨日の決算審査特別委員会第二分科会で、薬物依存症への対策を取り上げました。
取り上げるきっかけが2つありました。
1つは、元プロ野球選手の清原和博さんの著書「薬物依存症」を読んだこと。生々しい当事者の証言は胸に迫るものがありました。ご興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
もう1つは、私自身が保護司として薬物依存症のケースを持ったことです。また残念ながら再犯してしまい、服役中の彼に会いに行った際、私なりに反省する点、無知だったと気づかされた点があったことです。
堺市のこころの健康センターでは、依存症相談を実施しており、昨年度はアルコール依存症、ギャンブル依存症、そして薬物依存症、それぞれ100数十人の患者や家族からの相談がありました。
とは言え、この数は実際に依存症に苦しむ方の氷山の一角に過ぎません。
「本当は医療にかかる必要があるのに、医療にかかっていない割合」を、トリートメントギャップと言います。
たとえばアルコール依存症のトリートメントギャップは、96%とも言われています(99%を超えるとの見解もあります)。つまりは、100人いる医療が必要なアルコール依存症患者のうち、医療にかかっているのはわずか4人ほどで、残る96人は医療にかかっていない、自覚がないというわけです。
これは「相談」という切り口でも同じ傾向にありますし、薬物依存症や、ギャンブル依存症でも同じです。
このような状況ですから、依存症の相談窓口を作っても、自らやってくる相談者はごくごく一部の方に限られている。これが、依存症対策の難しさでもあります。
だったら、行政が側から当事者に声をかけていったら???
「相談してみませんか?」と。
来るのを待つのではなく、行政の側から行く、「アウトリーチ型の福祉」ですね。
でも、依存症患者ってどこにいるの?
本人ですら自覚がない人をどうやって見つけるの?
それがわかるんです。
少なくとも、薬物依存症に関しては。
全員でなくとも、相当数と接触が図れる場所があるんです。接触してる人がいるんです。
刑務所、保護観察所、そして保護司です。
違法薬物の所持、使用で逮捕、有罪となる方であれば、多くの場合は依存症と言ってもいい状態でしょう。
薬物依存症患者(受刑者)が刑務所にいる段階で、こころの健康センターの相談員が訪問して、顔と名前のわかる関係になれたら。
保護観察所でも同様にやり取りができたら。
保護司に「こころの健康センターに相談に行ってたら?」と声かけ役になってもらえたら。
刑務所でも、全国のこころの健康センターの一覧表は配っているようですが、依存症はそもそも相談しにくいものですし、相談員の顔と名前がわかっていたら、ずいぶんと相談しやすさは違いますよね。
保護司も、必ずしも薬物の知識のある方ばかりでなく、そうではない方が薬物依存症のケースを受け持つこともありますし、こころの健康センターの存在すら知らない方もいらっしゃいます。
これらの接点に、こころの健康センターの側からアプローチしていけば、ずいぶんと相談件数が増える(救われる方が増える)と私は思うのです。
私は、実のところ、薬物依存症に関しては「保護司は完璧な相談相手にはなりえない」と思っています。残念ながら。保護観察所の職員も同様です。
なぜなら、「実は使ってしまった」なんて告白を受けたら、保護司はそれを保護観察所に報告しなければなりませんし、保護観察所は原則、それを警察に通報せねばなりません。使用・所持していなくとも、売人と接触してしまったというだけでも、遵守事項違反になって、仮出所者は刑務所に逆戻りしかねません。
保護司や保護観察所は、違法行為や遵守事項違反がないかのチェックが主たる仕事であり、福祉的な伴走支援が仕事ではないのです。
ウソをつくことが、罪悪感を募らせ、孤独を深め、それが依存症からの回復を阻害し、さらに薬物に走る・・という悪い流れを、清原さんも著書の中で証言されていました。
依存症患者には「真実を語れる相手」が必要なんだと思います。特に使用・所持が違法となる薬物はなおさらで、秘密をもらさない専門の相談窓口が重要の役割を果たすと思います。
私の提案に当局は、
「『そこにいる』とわかっているのだから、何かいいアプローチの仕方がないか検討する」と答弁してくれました。
市民からのアプローチを待つのではなく、行政から困っている市民にアプローチしていく。その一つの好事例となることを願っています。
せっかく刑務所が所在する自治体なんですしね。
堺市議会議員ふちがみ猛志