障がい児の教育は平等になされているか
こんにちは。堺市議会議員(堺区)のふちがみ猛志です。
先週、今年最後の議会定例会が終わりました。
この定例会で取り上げた質疑は多岐にわたりますが、私なりに強い想いを込めて取り上げたものがあります。
それは「支援学校における学校司書・図書館サポーター」の件です。
おそらく現場の人たちはさして困っておらず、また是正したとて子どもに恩恵を感じてもらえるかどうかはわからない事例ですが…、
私は「障がい者差別」にも通ずるような、大げさに言えば、「教育に関わる大人たちの『意識』が問われている案件」だと思い、取り上げることにしました。
そのことについてブログを書きます。
支援学校の現場で気づいたこと
10月25日、文教委員会で百舌鳥支援学校、上神谷支援学校を視察しました。堺市が運営する障がいのある児童生徒のための学校です。
視察の理由は、両校の過密化、百舌鳥支援学校の老朽化の状況確認のためで、「これは何とかせねば」という認識を、委員一同で共有できたものと思います。
おそらくその共通認識は、今後の「第三の支援学校(あるいは分校)の設置」の議論の中で活かされるものだと思います。少なくとも私は活かしていきます。
一方、過密化、老朽化とは別に、その視察において現場で気づいたことがありました。
それは支援学校の図書室に学校司書・図書館サポーターが配置されていないということです。
学校司書と図書館サポーター
学校の図書室が閉まりっぱなしだ。
図書室の本が整理されておらず使いづらい。
古い本ばかりで面白くない。
図書室を使った授業が有効に実施されていない。
私が議員になった頃、いや、それ以前からそのような現場の声、子どもたちの声が多くありました。多くの学校で図書室専任のスタッフがおらず、担任を持つ先生が片手間で図書室のお世話をしていたからです。
子どもたちの教育、成長における読書の重要性は言うまでもなく、そこで学校図書館(図書室)の果たす役割は小さくありません。
子どもにとっても、先生にとっても図書室をもっと使いやすく。
そのために、文科省は学校司書の配置を求めてきました。
堺市もこれまで少しずつですが、学校司書を配置し、増やし、2校で1人まで配置されるようになりました。実際には1人の司書が掛け持ちしており、「1校に0.5人分の配置を全校に」という言い方が正しいかもしれません。
また、学校司書の不足をカバーするために、有償ボランティアにあたる「図書館サポーター」の配置も進めてきました。
配置の日数・時間数は十分とは言えませんが、現在、堺市の「全ての小学校・中学校に」学校司書・図書館サポーターが配置されるようになっています。
しかし、それは普通学校の話。支援学校には、学校司書・図書館サポーターが配置されていないのです。
教育委員会の答弁
文教委員会でこれがなぜか問うた私へ答弁はこうでした。
※別の委員会での写真ですが(汗
(平成29年度から)小中学校への学校司書の配置をめざしていたが、当時、支援学校への配置に関しては認識がなかった。また、令和4年1月に示された第6次同計画(学校図書館図書整備5か年計画)において「特別支援学校については、読書バリアフリー法の成立などをふまえ、その配置の拡充に努められたいこと」と示されていたが、表記に気づくことができていなかった
と言うのです!!!!
文科省の作った計画内の表記に「気づくことができなかった」とは、何とレベルの低い話でしょうか。
一方、「認識がなかった」という前段部分も気になりました。
小中学校に必要なものは、おおよそ支援学校にも必要でしょうに、その認識がなかったのです。
※なお、私の指摘に対し、教育委員会は早々に配置を進める旨の約束をしました。
むしろ支援学校にこそ必要ではないか
「障がい児の教育に図書教育は必要ない」なんて差別意識があったとは思いませんが、どこか無意識のうちに「必要性が薄い」と思い込んでいたのではないでしょうか。あるいは、何かにつけ、普通学校よりも優先順位を下げてしまってはいたのではないでしょうか。
支援学校に通う子どもたちは、その障がいも様々です。
ですから、それによって読む本(=選書)にも、また読み方にも様々な配慮が必要になるはずです。
そう思えば、本の専門家である司書の必要性は、普通学校よりも支援学校の方が高いのではないかとすら感じます。私の知り合いの司書さんもそのようにおっしゃっていました。
少なくとも、「支援学校では必要性が薄い」なんてことは、まずありえないでしょう。
百舌鳥支援学校は図書室自体が狭いのですが、きっとこれも同様の理由だろうと思います。この図書室も、大型の車いすに乗った子や、人との接触が苦手な子など、色んな特性の子がいる分、普通学校より広めに作られていても不思議ではないのですが、、、狭く作られているのです。
繰り返しますが、「意識的に配置しなかった。意識的に狭くした。」とは言いません。
無意識のうちにそんな扱いをしてしまっていたのではないか。そう思うのです。
「無意識の意識」とでも言えばいいでしょうか。
ただそれは、教育委員会職員だけの話ではありません。
自戒の念も込めて言いますが、それは私たち議員もです。
私たちの反省
学校司書や図書館サポーターの配置の議論があった時、多くの議員が「配置すべき」の訴えをしていました。私もそうです。
しかしその時点では、誰も「支援学校にも」なんてことは言っていなかったと思います(議員が指摘していれば、こんなことにはなっていないはず)。私もそんな指摘はしておらず、情けない話ですが、完全に頭から抜け落ちていたように思います。
これは学校司書に限った話ではありません。
スクールソーシャルワーカーや、スクールカウンセラー等々も「○校に1人」等々と配置の議論が度々ありますが、そこで私たちや職員は支援学校をちゃんと分母に加えているでしょうか。
小学校92校、中学校43校で全137校、それに支援学校2校を加えれば139校です。
何か全校に関わる予算要望をする時に、「×139」ではなく、「×137」で計算してしまってはいないでしょうか。
批判めいたことをブログに書きましたが、私自身も無意識のうちにそうだったであろうことを反省しています。
あって当たり前という意識
健常児にとって必要なものは、障がい児にとっても必要。
一部の例外はあるかもしれませんが、おおよそ、ほとんどのものがそうでしょう。「障がい児には必要でも、健常児には不要」というものはたくさんあるでしょうが。
私たちはこの当たり前の意識を持たねばなりませんし、その意識によって、障がい児を後回しにしていた「無意識の意識」を打ち消さないといけないと思うのです。
障がい児の保護者の方と対話した時に、
「学校に行かせてもらえるだけでも有難いんだけど」
「これを言うと我儘かもしれないけど」
などという言葉に出くわすことがよくあります。
こうやって当事者が後ろめたい気持ちにさせられていることも、社会の少なからぬ「障がい児をあとまわしにしていた『無意識の意識』」によるものではないかと思えてなりません。
どんな子どもであって、等しく学びが保障される。
その当たり前を作っていくために、まずは自分の意識から変えていこうと思っています。そう気づかされた支援学校の学校司書・図書館サポーターの一件でした。
堺市議会議員ふちがみ猛志
LINE登録はこちらからも↓↓↓