8月15日の私
8月15日。
心で平和を念じる程度で、いつもとさして変わらぬ普通の1日として、挨拶回りをしていた私。
そして、支援者のケンさん宅。
高校と部活の大先輩で齢87、いまだにピンとした背筋で、見事なまでの健康体のケンさん。
「おっ、まあ、上がりぃや」
といつもの通り上げてもらい、いつもの通り家族の話や世間話が始まったと思ったら、ふいに間が空き、76年前の小学生時代の話を始めたケンさん。
疎開した浅香山(わずか2.3kmしか離れていない)での話。
海軍に入り、フィリピンに行ったお兄さんの話。
寂しさのあまりに疎開先から抜け出し、家族の元に帰った夜に、堺空襲で家族7人と一緒に亡くなった友人の話。
その空襲後に、学校の講堂にむしろを敷いただけの病院で、母・姉と再会したら、本人ともわからぬほどに火傷で顔が変わっていた話。
行方不明になった妹を、街中に転がる真っ黒焦げの遺体をひっくり返しながら、父と探した話。
でもいまだに行方不明のままで、遺体も見つからず終いという話。
戦後、兄の帰還を待っていたら、「戦死」と書いた紙が届いた話。
「終戦の年の2〜3月に死んだ」という以外、どこでどうやって死んだのかの情報もなく、当然、遺骨も何もなければ、探しようもなく、76年経ってもモヤモヤしているという話。
ケンさんはポツリと、
当時の戦況からして、ジャングルかどっかで餓死でもしたんかなぁ。
と。
「甘さひかえめ」どころか、しょっぱすぎる、初めて聞く大先輩のお話。
いつもニコニコ、楽しいお話のケンさんが、今日は8月15日のケンさんでした。
おかげで私も、普通の1日ではない8月15日を過ごせました。
こんな話、いつまで聞けるやろうか。
生で聞けるうちに、聞いとかないと。
堺市議会議員ふちがみ猛志