休校騒動の原因は何だったのか
堺市が全公立小中学校の臨時休校と、学童保育を含めた「完全閉鎖」を発表してから丸3日が経とうとする3月1日(日)14時半頃、堺市はようやく、留守宅児童について、3日(火)から受け入れる旨を表明しました。
どうしても家庭で見られない子どもに限りますが、朝から昼過ぎまでは教員が見て、放課後時間は学童保育の指導員が見ることになります。
教育委員会は、当初の「完全閉鎖」が間違い、修正すべきものだと判断したわけです。
ま、時間はかかったけど、対応ができたのだから、めでたしめでたし!チャンチャン!
と言いたいところですが、そういうわけにもいきません。
今後の危機対応の教訓という意味を込めて、私なりの問題意識を記しておこうと思います。
今回の騒動・混乱の原因は、ひとえに
安易に「完全閉鎖」を発表してしまったから。
そして安易に発表したのは、慌ててしまったから。
だと、私は思っています。
今回、結果的に堺市が構築した受け入れ体制は、朝から昼過ぎまでは教員が、放課後時間帯は学童保育の指導員が対応するというものですから、人員体制としては「普段通り」です。
だから、27日(木)の休校発表と同時に、この体制で受け入れることを表明できたはずなんです。
しかし、いったん「完全閉鎖」を発表してしまったものだから、当然、学童保育の運営事業者はすぐにそのことを指導員に連絡したことでしょうし、2週間もいきなり仕事に穴が開くと聞き、別の短期の仕事を探したり、予定を入れてしまった指導員もいたことでしょう。
一度解除してしまった「普段通りの体制」を再構築するのは、大変だったと思います。学童保育の運営事業者の方、指導員の方々には、朝令暮改で大変なご迷惑をおかけしたことだと思います。
27日18時すぎの臨時休校発表の際に、今と同じ留守宅児童受け入れを発表できていれば・・・。あるいは、その時点では留守宅児童対策は「保留」とし、追って用意されいてる「普段通りの体制」をもって受け入れることを発表できれいれば・・・。
たらればになりますが、
・無用な混乱はなかった
・3月2日(月)も受け入れができた
・多くの職員が休日対応せずに済んだ
・受け入れ情報の漏れが出ずに済んだ(今の時点ですでに休校していますから、情報がすぐに届かない保護者が出てくるでしょう)
・ひょっとしたら給食が提供できたかもしれない(完全閉鎖の発表後、すぐに食材の手配をキャンセルしたものと推測します)
等々、悔やまれるわけです。
ここからは、私の現時点での推測です。
なぜ安易に「完全閉鎖」を発表してしまったのか?
それは単純に、留守宅児童に想いが及ばなかったからではないでしょうか。
想いが及ばなかった証拠に、臨時休校が実質的に決定した、新型コロナウィルス対策本部会議の議事要旨を見ても、留守宅児童については、何ら言及がありません。
では、なぜ留守宅児童に想いが及ばなかったのでしょうか?
それは「慌てすぎたから」だと私は感じています。
事が動いたのは、当日の16時半頃です。
本会議中、突然に理事者席にメモがまわり、議長の承認を得て、教育監が慌てて離席しました。ちょうどその頃、「大阪市の臨時休校」が発表されたと後で知り、「ああ、これか」と思ったわけです。
そして、本会議終了後の18時から対策本部会議が開催され、20分ほどで「堺市も臨時休校」「完全閉鎖」と発表されたのです。
外にいた私がその情報を得たのが19時頃、そして「まさか、学童保育も閉鎖?」と驚き、慌てて放課後子ども支援課に電話し、「本当にそれでいいのか?」と何度も問うたのですが、時すでに遅しでした。(よって、翌日、議会から要望を出すということを模索しました)
私に限らず、ひと呼吸置いてから「臨時休校」を聞いた議員や市民は、「じゃあ、留守宅児童は?」とすぐに心配したことだと思います。しかし、議事要旨を見る限り、わずか20分ほどの対策本部会議では、そうした議論の痕跡はありません。
「大阪市の臨時休校」の一報を受け、極めて短時間に判断し、そして発表に至ったのです。
危機管理の要諦は慌てないこと。
私はそう思います。
「走りながら考えればいい」という人もいますし、逼迫した状況ではそうかもしれません。
しかし、今回の件で言えば、木曜日の18時20分に発表するのも、金曜日の朝に発表するのも、大差はありません。なぜなら、どのみち保護者に通知するのは、金曜日の各学校での連絡プリントになるんですから。
現に多くの自治体が、18時半の国の要請を受け、一晩考えて、金曜日に方針を発表しています。そして、堺市にはない留守宅児童への配慮も盛り込んで。
「あと●分後には津波が!」なんて状況とは違うんです。
市長という職は、私には想像も及ばない重責ですが、それでも私たち市民はその市長に安全を委ねるわけですし、私たち議員はその対応をチェックせねばなりません。
永藤市長にとっても、おそらく最初の危機事象ですから、うまくいかなくて当然かもしれませんし、現時点で命に係わる事態ではないのが、幸いだったかもしれません。
しかし、留守宅児童の対策がなかったがゆえに混乱を生じさせたことと、あとになって、方針を転換せざるを得なくなったことは、紛れもない事実です。
永藤市長は、少なくともあと3年は堺市の危機管理のリーダーであり続けます。
危機管理のリーダーは慌てずに、そして側近はリーダーを慌てさせずに。
エールを込めて、そう伝えたいと思います。
「なぜそれほど慌てたか」については、議会でしっかり確認していきます。まさか、「大阪市がするから、堺市もしなきゃ」なんて、単純なものではないといいのですが・・・。まさかね。
堺市議会議員ふちがみ猛志