安保法案可決を受けて
安保法案が可決されました。
私は、この法案には反対の立場におりました。
あれこれと理由はありますが、最大の理由は、「立憲主義に反するから」です。
主権者たる国民が権力者に課した制約、国家権力を縛るものが憲法です。
ゆえに権力者が憲法を無視したり、恣意的に変更してはいけないのは言うまでもありません。
もし、この憲法に合致しないことをしたいのならば、憲法をその手続きに沿って変えなければならないのです(変えることを国民に問わなければならないのです)。
この考えが立憲主義であり、近代民主主義国家の根幹中の根幹です。
この法案が必要か否か。
集団的自衛権が必要か否か。
アメリカとの関係がどうあるべきか。
戦争になるのか、ならないのか。
そうした議論が繰り返される中、根本的な問題である、この憲法に反する事実に対する答えは、最後まで聞かれないままだったように思います。
少なくとも、法案賛成派から聞くことはほとんどなく、聞こえてくるのは「合憲なんだ」という強弁だけでした。
しかし、いくら「合憲だ」と強弁しようと、「集団的自衛権は違憲」としてきたのは、
過去の自民党政権であり、公明党であり、自民党でこの法案に関して先頭に立っていた高村副総裁であり、中谷防衛大臣です。
安倍総理ですら、集団的自衛権を認める閣議決定の前には、9条改憲や、その地ならしでもある96条の改憲を議論していたことを思えば、
「集団的自衛権は現行憲法には合致しない」との認識があったものと思われます。
私も法学部にいた人間、その端くれです。
憲法9条にこの法案が反するのは、誰が見ても明らかです。
憲法9条がいいかどうか、そういう問題ではありません。
嫌なら変えることを、堂々と問うべきなのです。
「集団的自衛権は必要だけど、憲法を変えないのはおかしいから反対」、「国際情勢を考えれば、本法案は賛成だけど、現行憲法下ではダメ」。
本来であれば、もっとそうした声があってもよかったように思います。
今回の法案により、ひょっとすると戦争に巻き込まれる日が来るかもしれません。
日本がテロの標的になるかもしれません。
ひょっとすると逆に、周辺国が日本に手出ししにくくなるのかもしれません。(私はそうは思いませんが)
しかし、どっちにしろ、確実に言えるのは、「権力者が憲法を恣意的に歪めた」という前例ができたことです。
立憲主義が死んだということです。
9条だけの問題ではないのです。
国民の表現の自由や、集会の自由や、「健康で文化的な最低限度の生活」や、「生まれながらの平等」や、私たちの生活を気付かぬうちに支え、
そして政府を縛ってきた数多の憲法の条文が、いつ何時、今回の9条と同様に骨抜きにされても、おかしくはなくなったわけです。
「そんなバカな」と思うかもしれません。
しかし、10年前、20年前は、集団的自衛権なんて、「そんなバカな」だったんです。
いや、2年前の時点でも、改憲手続きを踏まずに集団的自衛権を認めるのは、「そんなバカな」だったはずです。
憲法という歯止めに、一つの穴が開いてしまった今、「そんなバカな」は、より早くやってくるかもしれません。
気付いた時には、もう遅いかもしれません。
だから、私はこれからも、本法案の撤回を目指して、声を上げ続けたいと思います。
堺市議会議員 ふちがみ猛志