復興ボランティアに行ってきました
こんにちは。堺市議会議員(堺区)のふちがみ猛志です。
石川県に能登半島地震の復興ボランティアに行ってきました。
もう参加された方も少なくないと思いますが、GWを前に参加を検討されている方もいらっしゃると思いますので、何かの参考になればとブログに書いてみます。
あくまで私のケースであり、その時々で変わっていくと思います。参考程度として頂き、実際に行かれるときにはその都度お調べくださいね。
参加は基本的に事前登録
これまで東日本大震災や西日本豪雨のボランティアにも行きましたが、それらは当日いきなりボランティアセンターに行けば、その場で仕事がもらえるという形でした。
しかし、今回の能登半島地震は事前登録制です。もちろん、個人的なツテで行かれる方はそうではないでしょうが。
理由は報道されている通り、能登半島が交通不便地で幹線道路が限られ、あちこちから押し寄せると交通渋滞を巻き起こし、逆に復興の妨げになるからです。
いざ堺市で災害が起こった時はこのようにはならないでしょうが、ひょっとすると南海トラフ大地震があれば、和歌山南部などは同じようなことになるかもしれません(よって、今回の石川の失敗も含めた知見は、『特に』交通不便地の自治体は参考にすべきでしょう)。
事前登録はネットですぐに終わります(下記リンク先から登録できます)。
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/saigai/volunteerbank.html
人気コンサートのチケット並み?
事前登録が済みますと、メールやLINEでボランティアの作業メニューの案内が送られてきます。
「〇月△日■■市××××作業」と言った風にです。
※実際のLINE画面
私は輪島市での田んぼの泥上げ作業に応募しました。作業内容にこだわりはなく、単に日程の都合がよかったからです。募集人員がたしか22人だったと思います。基本的には、バス1台の単位で募集しているものと思われます。
そこには申し込み開始日時が記されています。
私は開始時間にパソコンの前にスタンバイしてすぐに申し込みをしたので先着順で合格(?)しましたが、22人の枠は開始5分ほどで埋まっていました。
人気コンサートのチケットか!?って感じですが、申し込みのメニューはたくさんありますし、また今後、道路網の回復などで受け入れ枠も拡大されることでしょうし、徐々に解消されるのではないかと推測しています(個人的見解)。
一つ厄介なのが、募集が直前ということです。私は4月22日のボランティアでしたが、募集の案内が16日、申し込みが17日でした。当然決まってからホテルなどの手配です。前もって予定を立てづらいのは何とかならないものかと思いました。
とはいえ、逆に言えば今からでもGWの予定を入れられるかもしれません。
高速道路は無料
石川県などの行政機関を通じてボランティアに行かれる方は、高速代が無料になります(個人で行かれる方がどうかは存じません)。
これも事前登録が必要ですが、ボランティアが確定したらその案内が来ます。パソコンでちょっと打ち込んで、プリントアウトして、料金所で見せる、という形でした。帰りは、ボランティアをした証明のハンコをもらうことになります。
ボランティアをしたその日に往復しなければならないわけではないので、その他の予定と組み合わせることも可能です。
石川旅行のついでにボランティアの予定を1日入れて、高速代を浮かしちゃおう!なんて人もいると思います。なんとなく動機が不純なような気もしますが、たとえそうであっても、被災者の役に立てるのは間違いないですし、旅行自体も現地への経済的支援になりうるので、私はそのような動機でも大いに活用すればいいと思います。
また被災地の様子を一目、その目で見たかどうかは、その人の防災や公共への意識をいい意味で変えることでしょう。「震災をいつまでも風化させない」ということにも繋がります。
現地へは金沢からバス
ボランティアの集合は金沢駅、もしくは石川県庁で、そこからバスで現地に入ります。
石川県庁には無料の広大な駐車場もあり、自家用車を止めておくことも可能です。
私は輪島市でも東部の山間部、能登半島の先端に近い山間部での作業でしたので、3時間近くを要しました。朝6時集合、9時から2時すぎまでの作業。そして5時すぎに解散です。
※青い小さい丸のあるところです。
なんだか非効率な印象はぬぐえませんが、先述した交通の問題や、現地で宿泊できる場所が限られていることも考えると、仕方ないでしょう。
これも今後、ボランティアの集約拠点が徐々に被災自治体に移っていくでしょうし、現に、能登空港にも拠点が設けられていると聞きました。ただ、金沢での集約も当面続くはずです。
なお、金沢からの道中で渋滞はほとんどありませんでした。にもかかわらず3時間かかるわけです。能登がどれほどの交通不便地かお分かりいただけると思います。
ちなみに私が作業した集落の方が、「震災直後は金沢まで13時間かかった」とおっしゃっていました。
人がいなくなった集落
私の作業は田んぼの泥上げでした。
これまでの災害ボランティアは、津波や洪水で浸水したお宅の片付けや泥かきでしたから、「山間部の田んぼでなぜ?」「地震と関係あるの?」という感じでしたが、行けばわかりました。
集落の人が減ってしまったのです。仮設住宅に移った方、あるいは若い人を中心に住む場所自体を変えてしまった方も。
田植え時期を前に、水路にたまった泥を上げる作業は、本来は集落全体でやっていたそうですが、とてもとてもできる状態ではなく、我ら20人ほどのボランティアの出番となったのです。
大勢でやればあっと言う間。心地よい運動にもなり、何より現地の方にも喜んでもらいました。水が通ったら、なんだか感動しました。
それにしても、今は復興ボランティアが来るにせよ、このような作業は今後誰が担うのでしょうか。集落の方が「70才は若手」と笑っていましたが、いつか過疎化・高齢化の先に耕作放棄地になってしまうのではないか、そんな気にもなりました。
日本の農業、食糧自給の先行きは、極めて暗いと思うほかありません。「安全保障のために武器を」という気持ちもわからないでもありませんが…、私は「安全保障のためにも食糧機自給率の向上を、農業支援を」と思います。それは前者よりもはるかに低コストででき、かつ、そのお金はほとんど国内で循環します。このブログでは余談ですが。
重労働の作業もあるかも
田んぼの泥上げが午前中で終了し、午後は里山の中腹にある倉庫からの荷下ろしでした。
道のりは約500m、なかなかのキツい坂道です。普通に行けば10分ちょっとですが、帰りの下り道は20キロの肥料の入った袋を担ぎます。それを私は3往復。
いやはや、これはなかなかの重労働でした。
普段は軽トラで荷上げ、荷下ろしをしているようですが、林道が崩れ、車が入れなくなったそうです。このようなインフラは早く復旧させないといけませんね。
なお、「重労働」と書くと、ボランティアに躊躇する方もいるかもしれませんが、基本的に先述した通りに作業は募集の段階である程度選べますし、作業中も休憩がこまめに入り、むしろ休憩が長すぎるくらいでした。ボランティアの負担にずいぶん配慮がありました。高齢のボランティアも多くいらっしゃいましので、あまり心配はいらないと思います。
ボランティアは県内の方も多く、休憩中にそんな方とおしゃべりするのも楽しかったですよ。
以上、雑多に書き記しましたが、関心を持ち、「私も行ってみようかな」と思ってもらえたら幸いです。
私が作業した集落の方が、帰り際に20人のボランティアに、お土産のお花を配ってくれました。
喜んでもらえたことが、何よりの喜びでした。
堺市議会議員ふちがみ猛志
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