ふちがみ世界紀行クロアチア編
今朝は素晴らしい試合でしたね。
サッカー日本代表がドイツとスペインを打ち破り、決勝トーナメントに進出するなんて!
いったい誰が想像できたことでしょう!
次はベスト16でのクロアチア戦です。引き続きの熱戦を期待しています!
さて、私は大学時代に述べ1年半、海外を放浪していました。いわゆるバックパッカーってやつですね。これまでに訪問した国は50か国ほどになります。
そしてその中で経験し、感じたことが政治家を目指したことにも繋がっています。
クロアチアもそんな訪問国の一つで、しかも私のその訪問は、サッカーW杯があったからこそなんです。
そこで、せっかくの機会ですから、私のブログの不定期の『息抜き企画』として、「ふちがみ世界紀行」を綴りたいと思います。記念すべき(?)第一回は、クロアチア編です。どうか気軽に私の昔話にお付き合いください。
私がクロアチアを訪問したのは、1998年4~7月の3か月間、ヨーロッパを放浪した時のことでした。
6月から始まるサッカーW杯フランス大会に日本は初出場を決めており、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカとの対戦が決まっていました。
フランスに見に行きたい・・・、しかし、チケットを買うお金などない・・・。でも、せっかくだからW杯の雰囲気を味わいたい・・・。
そこで私が選んだのが、(「日本VSクロアチア」については)おそらく盛り上がっているであろうクロアチアでテレビ観戦すること!だったのです。
旅人だった私には、当時のテレビ放映の予定もわからず、第三国にいては、日本戦が放送される確信もありませんでしたしね。
完全アウェーのバーでの観戦は、本当にドキドキしましたね。
あちらこちらから目線を向けられ、そしてクロアチアにいいプレーが出ると「どうだ!」と言わんばかりに、日本に惜しいプレーが出ると「なかなかやるじゃないか」という風に、声がかかるのです。
結果はご存じの通り、0-1で日本の敗戦となったわけですが、これが観戦後の1枚です。
いるんですね。私のように「クロアチアでの観戦」を考えた日本人が(笑)。
クロアチアが勝利したこともあり、そんな日本人たちは、街中で大人気。あちこちでクロアチアサポーターに囲まれ、気づけば日本人同士で合流していました。(私は写真左下の真っ黒な人物です)
いやあ、それにしても、もし日本が勝ってたらどうなってたんでしょうねえ。石でも投げられていたのかな(汗)?
ともかく、サッカー(およびスポーツ)は世界の共通言語だと実感した国であり、その後も私はサッカーを通じて、世界の人たちと交流を持つこともできました(私は観る専門です)。
そんなクロアチアで目の当たりにしたのが、内戦の傷跡でした。
クロアチアで訪問したのが首都のザグレブと、「アドリア海の真珠」とも呼ばれるドブロヴニクでした。その間はバス移動で、3年前まで紛争をしていたボスニア・ヘルツェゴビナを通過するルートでした。
そこからの車窓は、朽ち果てた建物や、異様に多い墓場、そして墓石に彫られた若者たちの姿・・。と胸が痛くなる光景でした。
ドブロヴニクは噂に違わない美しいまちでした。
外から見るのも美しく、中に入れば雰囲気のある路地裏があり、そしてもちろん海も美しく、私好みのまちでした。ちなみに、これは都市伝説のように、バックパッカーの間であれこれ噂されているのですが、このドブロヴニクは、かの「魔女の宅急便」のモデルのまち(の一つ)とも言われています。他、「と言われているまち」が私の知る限りでも5都市ほどありますがね(^_^;)。
しかし、そんなドブロヴニクでも、ふと建物をよく見ると、壁にはハチの巣のように無数の穴があいていたりするのです。クロアチアの美しいまちにも、91年からの独立を巡る内戦の傷跡があったのです。ドブロヴニクは海に面したまちなので、かなり激しい艦砲射撃を受けたそうです。
実は私はザグレブからドブロヴニクに直行する予定ではなく、ボスニアのモスタルというまちに行こうと思って、モスタルに行く長距離バスに乗りました。ところが、私はモスタルに着いたことに気付かず、運転手も乗客も誰もそのことを教えてくれず、降りそびれたのです。運転手や、隣の乗客に「モスタル行きか」と確認して乗車したにも関わらずです。
これは当時の若かれし私の完全な主観なのですが、「内戦なんてものを経験すると、親切やお節介の心まで奪われてしまうのだろうか」と感じたものです。(あくまで当時の主観です。ボスニアの皆さん、すいません。)
結果的に、そのバスの終着点がたまたま次の私の予定地のドブロヴニクだったので(降りそびれたことに気付いた瞬間は、どこに連れていかれるのだろうと真っ青になりました)、予定変更してモスタル(およびボスニア)をパスしちゃったんですが、先に述べたその車窓は、本当に忘れられないものでした。
サッカーW杯の日本戦の勝利にはすごく盛り上がっていましたし、結果的にクロアチアはベスト4まで進むことになり、これまた盛り上がったようですが、その背景には内戦で傷ついた心があったんだろうと思います。選手も国民に笑顔を届けたいと、一丸となったのでしょう。(阪神大震災後のオリックス、東日本大震災後の楽天の優勝と似てますね!)
私にとってクロアチアは、スポーツの可能性や、平和や戦争について考えさせられた国です。
そのクロアチアの「平和や戦争」の話は、その後に訪問するドイツでの印象的な出来事にも繋がります。
そんなドイツ編はまたいつか・・・。
堺市議会議員ふちがみ猛志