ふちがみ世界紀行スペイン編
ワールドカップのスペインが敗退しました。意外な結果でしたね。しかもその相手がモロッコというではありませんか。(その後、ポルトガルまで撃破!)
モロッコはスペインとジブラルタル海峡を挟んで向かい合っている・・というより、実は地続きなのです。スペインにはジブラルタル海峡のアフリカ側に「セウタ」という飛び地があるからです。
それくらい目と鼻の先の両国ですから、モロッコにはスペイン人観光客も多く、スペイン語もわりと通じます(英語以上かも)。
そんなモロッコはスペインへの意識も強く、この勝利でさぞかし盛り上がったことでしょう。
さてそんな両国は、私が旅した中でも非常に印象的だった、大好きな国です。今回はその一方であるスペイン編を書こうと思います。
私がスペインを訪れたのは、2001年の10~12月(のうちの1ヶ月半ほど)。
前年の2000年に中南米を1年放浪した後でしたから、それなりにスペイン語もできましたし、中南米で知り合ったバルセロナ在住の日本人や、マドリード在住のスペイン人を訪ね、それぞれ案内もしてもらえましたし、本当に楽しい旅でした。
※コスタリカで知り合った友人のマドリードの自宅にて
スペインは、サクラダファミリアで有名な芸術都市バルセロナや、アラブの影響が色濃い南部の都市など、まさに色とりどり。料理もおいしく、実に飽きない国でした。
世界最高峰のリーガエスパニョーラがありますから、サッカーファンにはたまりません。私もカンプノウスタジアム(写真↓)でバルセロナの、ベルナベウスタジアムでレアルマドリードの試合も観戦でき、チームはもちろんですが、スタジアムの巨大さと、フィールドとの近さ、観戦しやすさに感激しました。
さて、そんな私のスペイン旅でしたが、一番の思い出は「スペインのお遍路」とも言える、Camino de Santiago、聖地巡礼の旅でした。
キリスト教の聖地である、スペインの北西の端にあるサンチアゴ・デ・コンポステーラまで歩いていくのです。おおむねフランスとの国境であるピレネー山脈から歩く1000㎞ほどのコースが一般的で、中にはフランスのパリから歩く強者もいるようです。
私はヘナチョコだったので、、、また時間もあまりなかったので、スペイン中部の都市レオンから、約300㎞の道のりを歩きました。たしか6日間をかけたと記憶しています。
道のりは多少の山あり谷ありはあるものの、聖地巡礼のシンボルである「ホタテ貝」のマークの入った石標が500mごとにあり、道に迷うことはまずありません。
行く先々の小さなまちでは必ず巡礼者用の宿もあり、宿泊先にも困りません。この辺はお遍路と同じですよね。
日中は思い思いのペースで歩いても、宿泊するまちでは巡礼者が一緒になることも多く、仲良くもなります。
※巡礼のアルゼンチン人と(マラドーナに似てない??)
巡礼のゴールであるサンチアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂(写真↓)が見えた時には感動しましたし、その荘厳なミサも忘れることができません(ミサはいい写真がないので、ネットとかで見てください)。
そして仲良くなったみんなで、ゴールインの記念撮影。
このメンバーで忘れらないのが、真ん中にいるドイツ人です(忘れられないと言いつつ、名前は忘れましたが)。
日本人女性の伴侶がいて、大の日本贔屓。
日本を何度も訪問していて、お遍路も歩いているんです。
聖地巡礼の旅では、宿泊先で仲良くなった巡礼者同士で食事にも行って、その日の巡礼路がどうだったとか、あの景色が素晴らしかったとか、そんな話もよくするんですが、彼はいちいち、
「お遍路の方がもっと素晴らしい」とか、
「サクラの美しさはこんなもんじゃない」とか、
「和牛の方がもっとうまい」とか、
あげく、サンチアゴ大聖堂の荘厳なミサにみなが感動している最中にも、
「Zen(禅)の方がもっと心が美しくなる。それに比べればNoisyだ。」とか言って、無邪気に水を差す男でした。そして、彼は英語とドイツ語しか話せず、一緒にいたメンバーにはスペイン語しか話せない現地人もいたので、私にいちいちそれをスペイン語訳させるわけです。
あまりに日本が好きで、それが微笑ましくもありましたが、それの彼の主張を日本人である私が現地のスペイン人に伝える役をやらされた時には、ほんとに困りましたね。
そのくせ、彼は「ちづる」さんという、日本人の伴侶の名前を「ティドゥー」とか、「チジュー」と言いながら、うまく発音できないことを自虐的に話し、私に「妻の名前の発音の見本を頼む」と言って練習していました。
そんなこんなで、外国人旅行者とも、現地人とも仲良くなれた巡礼の旅でした。
その昔、四国のお遍路をまわった巡礼者は、堺にわたり、そこから高野街道を通って高野山までお参りに行ったそうです。
巡礼路としてお遍路があれだけ有名で、高野山は高野山で世界遺産として有名なのに、その中継地点であったはずの堺は、そんな存在としてはまったく知られていませんよね。
すごくもったいないと思いますし、大小路交差点から始まる西高野街道を、もう少し巡礼路らしく整備できないかと思う背景には、スペイン巡礼路の楽しい思い出があるのです。
あともう1つだけ思い出を。
「スペイン語」は、英語でSpanishですが、スペイン語ではEspañolと言います。
ところが、現地スペインではまずEspañol(エスパニョール)とは言わず、Castellano(カステリャーノ、あるいはカステジャーノ)と言います。カスティーリャ語という意味です。初めて聞いた時には「??」と、すぐ理解できませんでした。
スペインという国は、もともと地域色が濃く、カタルーニャ語や、バスク語、ガリシア語という地域言語が存在します。世間で言うところのスペイン語(Español)はあくまでも今の首都であるマドリード近辺のカスティーリャ地方の言葉であり、それが全土で通じるに過ぎないのです。なので、スペイン人自身はそれを「スペイン語」とは言わず「カスティーリャ語」と呼ぶのです。
ときどき大阪の人が、いわゆる標準語を「標準語」と言わず、「東京弁」と言ったりしますよね。それと(ちょっとだけ)似ているかもしれませんが、スペインの場合は、全国でそういう言い方をしているわけです。
それには、歴史があるのです。
第二次大戦のころ、スペインでもファシズムが台頭し、カタルーニャ語(Catalan)などは厳しく制約され、公の場での使用が禁じられます。そしてそれは1975年まで続きます(えらい最近やん!)。
言葉を禁じられるというのは、その地域の文化の否定であり、屈辱的だったことは言うまでもありません。
そういう歴史があるからこそ、いくらカスティーリャ語が「標準語」的であり、世界ではそれが「スペイン語」だと捉えられていても、スペイン国内でそれを「スペイン語(Español)」と表現しない、できないわけです。
仮にこれを日本に当てはめるなら、「日本にはアイヌ語や、沖縄のウチナーグチもあるのだから、いわゆる日本語を日本語と呼ばず、『やまと語』と呼ぼう」と言うようなものですね。(地方言語の使用人口がずいぶん違うということもありますが、)日本ではまずありえないことであり、歴史や地方への向き合い方として、考えさせられるものがあります。別に私がそうしたいと思っているわけじゃないですよ、念のため。
ちなみに、公の場で地方言語が禁止されていた当時、それを堂々と叫ぶことできたのがサッカースタジアムだったそうです。
カタルーニャ地方のサッカーチーム「FCバルセロナ」と、首都マドリードの「レアル・マドリード」の試合が、異様に盛り上がるのには、こうした歴史的背景があるんですね。
もちろん、そんな地域ごとのライバル心は、地元との会話の中でもしばしば実感します。
こういう歴史を知っているか、知っていないかで、旅の楽しさ、深さはまったく違うものになってきます。旅する時は、ぜひその国の歴史の勉強も。
以上、スペインで感じた、歴史、文化、人権、地方と中央の関係、、、の話でした。
堺市議会議員ふちがみ猛志