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ヒトラー騒動に思うこと

ネット界隈では言説が出尽くしているので、ここに書くのも今さらなんですが・・、なかなか味わい深い流れになっていますので、ご存じない方のためにも、書き記しておきます。

 

立憲民主党の菅直人元総理がツイッターで、橋下徹氏の弁舌の巧みさについて「ヒットラーを思い起こす」と書き込んだことに対し、維新が猛反発し、大騒動となりました。

その産経新聞のネットニュースがこちらです。

<独自>維新の抗議文判明 菅直人元首相のヒトラー投稿(産経新聞) – Yahoo!ニュース

記事によれば、維新の幹部が「立民が逃げ回るならば、党本部に乗り込む。維新を怒らせたらどうなるか徹底的に思知らせる」と語ったそうですが・・・、

 

いやぁ、ヤクザもんの映画のセリフのようですね…。

「維新って怖いですねぇ、恐ろしいですねぇ、、、」

と、ついつい、懐かしの淀川長治さんの名言を思い出してしまいます。

※日曜洋画劇場より

 

維新サイドの方々の見解を纏めますと、

 

橋下徹氏「ヒットラーへ重ね合わす批判は国際的にはご法度」

吉村知事「国際法上はありえない」」

松井市長「言ってはならないヘイトスピーチ」

馬場共同代表「いったい、どのような人権感覚を持っているのか」

藤田幹事長「国際社会ではほとんど許容されない」

 

という具合で、1月23日の橋下さんの上記ツイートを号砲のようにして、24日、25日と次々に幹部が批判。そして、1月26日には、維新から立民へ、党としての抗議文が提出されました。

ところがです。

橋下さんも、過去に民主党政権を「ヒトラーよばわり」していたことが判明。

それどころか、維新の共同代表を務めた石原慎太郎氏が、橋下共同代表(当時)を「若いときのヒトラー」だと、『誉め言葉』として使ってることまで、掘り起こされています。

いやはや、ここまでくると喜劇ですね。どの口が言うとるねん、と。

もはや、かつてヒトラーを模した喜劇王チャップリンもびっくりです。(映画「独裁者」より)

※その後、橋下氏は過去の発言を指摘され、「個人や政党にではなく、(民主党政権が出した)法案に対して言ったものだからOK」みたない理屈をこねていますが、さすがにこれで納得するのは信者さんだけでしょう。

 

ただ、喜劇と言いながらも、私はこの一連のやり取りにはゾッとする思いがするのです。

 

ある権力者(この場合は、政党の創始者(=実質的権力者)たる橋下氏)が、①ありもしない基準を恣意的に作り、②取り巻きがそれを無批判に信じて金科玉条のごとく振りかざして、自分たちに都合の悪い言論を糾弾し、③支援者たちもまた無批判に受け入れて喝采し糾弾に加担する、④メディアはろくに無検証・無批判で一方の主張を垂れ流す、という構図にゾッとするのです。

 

まず、これもすでに各所で指摘されていますが、「ヒトラーに重ね合わせた批判」は、決して「国際的にご法度」でも、「国際法上はありえない」ものでもありません

「国際的にありえない」のは、礼賛する行為、あるいは礼賛のように捉えられる行為です。(その意味では、上記の石原発言の方が、ご法度と言えるかもしれません)

時々、芸能人がナチス風の衣装を着て国際問題になったりするのは、礼賛のように捉えられる行為だからです。

 

一方、ヒトラーになぞらえた批判は、世界中で行われています

※もちろんそれは、辛辣な批判であり、平易な表現ではありませんが。

そして日本でも、かの読売新聞のトップが、橋下氏に対して、ヒトラーになぞらえた記事を書いていたのです。

ヒトラー及びナチスの蛮行は、歴史上の汚点とされているがゆえに、「批判に使ってはいけない」のではなく、むしろ、未来への教訓として、必要に応じて政治家や政党に対する批判に使われて然るべきです。

 

これらの橋下氏や石原氏のこと、世界でのことは、ちょっと調べればすぐに分かることです。なのに、吉村知事にしろ、他の幹部の面々にしろ、そして維新信者の方々にしろ、まさに「神のお告げ」のごとく、橋下氏の言説をそのままに受け入れて振りかざし、メディアも当初は維新サイドの主張を垂れ流すばかりでした。そして冒頭の「党本部に乗り込む。維新を怒らせたらどうなるか徹底的に思知らせる」です。私には恐怖政治の端緒に見えてなりません

今回のヒトラー騒動における、こうした一連の維新の動きによって、逆に彼らのそのような体質が浮き彫りになり、ヒトラーになぞらえた批判が、あながち的はずれでもないことを示してしまったように思います。皮肉な話です。

 

今回の件に限らず、これまでの特定の層を「既得権者」と決めつけて一括りに攻撃してきたサマや、独裁志向、反議会主義、アンチインテリ、扇動的な宣伝術などなども含め、私は「ファシズム的であり、ナチスに通ずるものがある」と思っています。

もちろん、あくまで「通ずるものがある」だけで、「同一」とは思っていませんし、まして「いつか大量虐殺を行うかも」なんて思っているわけではありません。

ただ、その「通ずる部分」が加速した時、その行きつく先には、民主主義の形骸化や、個人の人権が実質的に制約される息苦しい社会が待っているのではないかと思えてならないのです。いや、すでに大阪の地方政治の場では、民主主義の形骸化が顕著に進んでいます。

ですから、私は過去の歴史の教訓からも、時にはあえて「ナチス」「ヒトラー」という辛辣な表現を使うことも含め、警鐘を鳴らしていかねばと思っています。もちろん、それは維新に限らず、時の権力を持つ人たちに対してです。

元総理で戦争を知る宮澤喜一さんは、かつてこう言いました。「自由はある日突然なくなるものではない。それは目立たない形で徐々にむしばまれ、気づいたときにはすべてが失われている」と。戦前の日本も、ナチスドイツもそうだったんです。

宮澤さんの言葉を、この騒動を経て、改めて噛みしめています。

 

余談ですが、松井市長は菅直人氏の言葉を「ヘイトスピーチ」と批判していますが、ヘイトスピーチとは、特定の民族や国籍など、本人には変えられない属性に対する憎悪を煽る差別表現であって、誹謗中傷とも、ましてや単なる「批判」とも全く違います。橋下氏の弁舌に対する今回の菅氏の投稿は、ヘイトスピーチとは言えません。

実名公表という抑止力のあるヘイトスピーチ禁止条例を持つ自治体の長が、まさかその程度の認識とは…、こちらもちょっと恐ろしくなりますね(同条例自体には一定程度賛同しています)

 

 

堺市議会議員ふちがみ猛志

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