夜間中学校は学びの原点
フィリピンの貧困家庭に生まれ、小学校2年生で仕事をして、自らの学費と生活費を稼いでいたものの、両親の離婚をきっかけに、小学校に通うことを断念。親族や知人宅をたらいまわされ、その親族宅で性的虐待を受け、犯罪組織に監禁され、「日本に行けば稼げる」と連れてこられたのが日本の風俗店。騙されたことに気づき、そこから命からがら逃げ出した女性。
そんな彼女が、今は日本で家族を持ち、家族の協力のもと、建設現場で働きながら、建築の専門学校で学び、建築の資格を取ることと、その先に大学で学ぶことを夢見ています。
そのきっかけとなったもの。
それが「夜間中学校」でした。
彼女は言います。「学ぶことは、生き延びること」だと。
夜間中学校との出会いで、学ぶ喜びを知り、生きる力を身につけ、さらなる学びを続ける彼女の言葉の一つひとつに、感動を覚えました。
初めて彼女がこの言葉を口にした時、「生きること」と言うつもりだったのに、無意識に「生き延びること」と言ってしまったそうです。それほどまでに壮絶な半生だったのでしょうし、その彼女を救った「学び」の意味を感じずにはいられません。
「かつての自分と同じ境遇の人のために力になりたい」と言って、彼女は学び続けています。
夜間中学校は、戦後の混乱期に「戦争などで義務教育を修了できなかった人ために」と設置されたものです。その後、時代と共に学校に通う生徒の様相も変わってきたようです。
先に紹介した女性のように、母国の経済や政治の影響で、義務教育を修了できなかった外国人や、いじめなどで不登校になり「形式卒業」をすることになった人が多くなっているようです。(もちろん今も、「戦中・戦後に学べなかった」という高齢者がいらっしゃいます)
外国人にせよ、不登校の若者にせよ、戦後学べなかった高齢者にせよ、読み書きすらままならなかった方が、それを学び、生きる力を身につけ、仲間をつくり、社会とつながっていくことは、その本人にとっては言うまでもなく、その家族にとっても、そして社会全体にとっても、計り知れないほど大きな価値のあることです。
夜間中学校には、「学ぶ喜び」が溢れています。そして、そんな夜間中学校を「学びの原点」と呼ぶ教員も少なくありません。
政府は、この夜間中学校の価値、必要性を改めて認め、「教育の機会の確保に関する法律」を成立させ、各都道府県に最低1校の夜間中学校の設置を目指すこととなりました(現在は9都府県に33校が設置、つまり34道府県は未設置)。
堺市には、全国で最大の在籍生徒数を誇る、殿馬場中学校夜間学級があります。
これから、全国的に夜間中学校の新設が進むことでしょうが、既存の夜間中学校に課題がないわけでは決してありません。
多様化が進む生徒への対応、日本語教育の専門人材の確保、本当に必要な人に夜間中学校の存在を知ってもらうこと、、、、
こうした課題に率先して取り組むことで、殿馬場中学校夜間学級を、これから増えるであろう夜間中学校のよきモデルにしていきたいものです。
それは、「誰一人取り残さない」「質の高い教育をみんなに」という、堺市も進めているSDGs(持続可能な開発目標)にも合致するものです。
しかし残念ながら、夜間中学校は決して認知度が高いとは言えず、議会で話題になることもあまりありません。
「だからこそ、殿馬場中学校の卒業生でもある私が、積極的に議会で!!」
そう決意した昨日の、「夜間中学校を増やそう!充実させよう!シンポジウム」でした。
文教委員会が楽しみです。
堺市議会議員ふちがみ猛志