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属性の違う当事者の気持ち

先日、永藤市長のツイートが目に留まりました。

画像だと読みにくいかもしれないので、改めて転記させてもらいますと、

 

※※※永藤市長ツイート※※※

「市長は子どもがいないから親の気持ちが分からない」との投稿を見かけて悲しく思っています。確かに子どもはいませんし、性別や年齢、ご家庭の事情など私自身が備えていない属性も多くあります。しかし、当事者の皆様のことを考えた上で最善の判断をするのが市長である私の仕事と考え行動しています

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永藤市長になってからというもの、理由はともあれ、「やる」とされていた子育て支援施策が次々と取りやめになっていますので、そのように思ってしまう気持ちも、わからないわけではありません。

 

でもやっぱり、このような『属性が違うことを理由にした批判』はやるべきではない、と私は思うのです。

 

「子どもがいないから親の気持ちが分からない」という批判を認めると、

 

「男性だから女性の気持ちが分からない」ということにもなりますし、

 

若者には高齢者の気持ちが分からない、

健常者には障がい者の気持ちが分からない、

日本国籍の人には外国籍市民の気持ちが分からない、

サラリーマンには自営業者の気持ちが分からない、

低所得の人には高額納税者の気持ちが分からない、

堺区在住者には美原区在住者の気持ちが分からない、

背の高い人には背の低い人の気持ちが分からない、

 

と、まあ、「何でもあり」になってしまうのです。

「属性がすべて同じ」という人はこの世に存在しませんし、そもそも、属性が違うということは、多くの場合、本人にはどうしようもできません。

永藤市長が「悲しく思っています」と言うのも、無理はありません。

 

こういった批判の行きつく先が、よくある「政治家だから庶民の気持ちが分からない」なんだろうと思います(だいたい、政治家≠庶民とは限りませんしね)。建設的ではないですよね。

 

たしかに、当事者でないと、その気持ちがなかなかわかりにくいのは事実だと思います。

 

だからこそ大事なのが、政治家が当事者と対話すること、そして多様な当事者が政治に参画することだと思います。

 

後者については別の機会に書くことにしまして、今回は前者についてです。

 

属性が違う当事者の気持ちは、たしかに分かりにくいものですが、その当事者とじっくりと対話を繰り返すことで、「一定程度は」分かるようになってきます。

 

私自身、議員になった時はまだ子どもが未就学児だったので、同じ子育て中の身ではあっても、「小学生の子の親」の気持ちが、その時点では理解しきれていなかったように思います。

しかし縁あって、小学生の保護者と対話する機会に多く恵まれ、その気持ちを理解していく中で、議員1年目に学童保育の問題を何度も取り上げることになりました。

 

社会的養護の問題も私がよく取り上げるテーマですが、これは施設の方や、里親さんたちと対話する機会に多く恵まれた結果です。そしてその後、保護司になり、非行を経験した少年との対話を経験し、このテーマの捉え方もいい意味で変わってきました。

 

もちろん、これらの分野においても、私の「当事者との対話」はもっともっと必要ですし、数多ある政策分野の中では、対話が足りていないゆえに当事者の気持ちが理解できていないものもあるでしょう。

 

そこで最初の話に戻ります。

 

私もこれまでの永藤市長の政策判断を見てきて、「親の気持ちが分かっていない」と感じる場面が多々ありました。今もそう思っています。

しかしそれは、「子どもがいないから」では決してなく、「当事者との対話が足りていないから」だと、私は思っています。

 

就任直後に、児童自立支援施設の現場に足を運ぶこともなく、その職員や、生徒指導の教員、非行の少年少女やその家族などの関係者、そして議会と対話することもなく、施設の建設の中断を決めたのは、その顕著な例です。

 

実際のところ、当事者の気持ちが分かっているかどうかは、本人のみぞ知るところです。気持ちがわかった上で、でも厳しい決断をせねばならないことも、リーダーにはあるでしょう。ただその時に、当事者との対話が十分にあった上での判断か、そうでないのかで、当事者の納得感は大きく変わってきます

 

これは子育て支援だけではありません。

永藤市長には、様々な政策分野において、当事者との対話不足を感じます

また、職員との対話も不足しているように思います。いや、「思う」というより、そのような職員の声があちらこちらから、否応なしに聞こえてくるのです。

そして、そのせいなのかはわかりませんが、このところ、職員自身も市民とちゃんと対話ができていないという事例が、あちらこちらで目につきます

 

市長の身体は1つしかありませんし、

議員などよりよほど多忙でしょうし、

責任ある立場なので耳の痛い批判に晒されることもよほど多いでしょう。

 

しかし、その対話こそが、たとえ時間や労力がかかったとしても、よりよい政策、より早い政策実現(急がばまわれ)、より強い納得感に繋がっていくのだと思います。

熟議は面倒ですが、それが政治というものです。

 

永藤市長は勉強熱心で、その点は大変まじめに努力されているように、私は感じています。ぜひその姿勢を、もう少し「対話」に向けてもらえたらと思っています。

そうすれば、冒頭のような「悲しい思いをする批判」もなくなっていくのではないでしょうか。

 

 

 

堺市議会議員ふちがみ猛志

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