市民憲章に次々と違和感
こんにちは。堺市議会議員(堺区)のふちがみ猛志です。
突然ですが、市民憲章をご存じでしょうか?
市民憲章は、堺市では昭和38年に「市民の共同の生活目標・努力目標」として、「市民の総意と、堺市の特色を織り込んで」制定されたものです。
※市役所前の市民憲章の石碑
市主催行事である二十歳の集い(成人式)でも、新成人が朗読するなどし、活用されています。
しかし、制定から60年以上が経過し、堺市の現状や方針、現代的な価値観からずいぶんと齟齬が生じるようになりました。
6年前にそのことを議会で取り上げ、当時の市長公室長は、「見直しの必要性も含めて検討する」と表明。その状況はブログにもまとめ、また毎日新聞の記事にもなりました。
※過去ブログ「市民憲章は前前時代的!」
※市民憲章についての毎日新聞記事
https://mainichi.jp/articles/20190104/k00/00m/040/069000c
そして時は流れ、6年ぶりにその検討状況を議会で確認したのでした。
市の方針との齟齬
私が今回の議会で大前提としたのは、「私や市民の『価値観』と市民憲章がずれている」ではなく、「市の『現状』や『方針』と市民憲章がずれている」ということです。
※堺市民憲章全文
たとえば、この市民憲章策定の目的について、前文には「大都市に建設していくために」とあります。堺市はもはや大都市を目指しているのではなく、むしろ人口減少の現実を受け入れつつ、「それでも豊かさを維持し、幸福を感じられるまち」を目指しています。
「国際的工業都市」というのも、高度成長期にはそうであったかもしれませんが、当時あった新日鉄の高炉の火は消え、そのあとにできたシャープの液晶工場も閉鎖が決まっています。現在の堺市が「そうだ」とは、とても言えないでしょう。
そうした「現状」を踏まえ、堺市の「方針」も当時と大きく変わっています。
打ち出したいイメージは国際的工業都市?
堺市が発出する文書や挨拶文で「国際的工業都市」という文言を見る機会はまずありません。それが「堺市の打ち出したいイメージ」ではないからです。
堺市が近年打ち出しているイメージは、「環境先進都市」や「類まれな歴史」などです。
高度成長期、まさに国際的工業都市を目指す中で、たくさんの公害問題が発生したり、歴史的な景観や古墳等の歴史的資産が開発によって逸失したりしました。
「環境」や「歴史」が軽んじられていた時期とも言えるでしょうし、その反省の上に今の市の取り組みがあると言っても過言ではありません。
私はこの「国際的工業都市」という打ち出しについて、環境局長、文化観光局長について問うたところ、「(取り組みと)乖離がある」「(表現に)違和感がある」などと答弁しました。
たくましく働き生産性の向上につくす?
市民憲章の第一条は、「たくましく働くことに喜びをもち、生産性の向上につくします」というものです。
私は現代的な価値観からとのずれを感じます。もちろん、たくましく働けて、それに喜びを感じられる人はいいんでしょうけど・・、問題は「市の方針とのずれ」です。
このことついて産業振興局長に問うたところ、
「生活スタイルに応じた働き方を選択でき、また多様な人材が活躍できる雇用の創出が求められている」ことや、「(労働者の)置かれている状況や環境が様々ある」ことから、この条文には「(方針と)乖離」があり、「違和感がある」と答弁しました。
やはり、ずれているのです。
人に迷惑をかけません?
私はもう一つ「市の方針とのずれ」を感じているのが、四条の「秩序を重んじ、ひとに迷惑をかけないようにします」です。
たとえば生活が困窮し、生活保護の受給などの福祉的支援が必要にも関わらず、その支援を「社会に迷惑をかけることだ」と誤解し、それを我慢し、一層困窮を深めている。私はこれまでの議員活動の中で、そんな方をたくさん見てきました。そうした誤解がある中で、「迷惑をかけないように」という文言の一人歩きには、少なからぬ抵抗感があります。
健康福祉局長にその観点で問うたところ、
「人によっては人に迷惑をかけることであると捉え、サービスを受けることに抵抗を感じている市民がいる」、「躊躇なく福祉サービスを利用していただけるよう周知や啓発に努める」旨の答弁がありました。
私の懸念は杞憂ではなく、市としても認識しているのです。
また、いわゆる「マイノリティ」とされる方の中にも、同じような理由で自分らしさを出すことを躊躇している方がいます。
そのことについて、人権を所管するダイバーシティ推進監に問うたところ、
同じく私の懸念を踏まえた上で、「人に迷惑をかけないようにしますという表現は、現在のダイバーシティを推進するという観点からは違和感がある」と答弁しました。
やはり、市の方針とは一定のずれがあるのです。
迷惑をかけずには生きていけない
私がこの質問をするにあたり、事前に中学生の娘に市民憲章を見てもらいました。
すると娘は、「『人は人に迷惑をかけずには生きていけない』と学校で教わった」と言うのです。
たしかに「人に迷惑をかけるな」ではなく、「迷惑をかけてしまったら『ごめんね』と素直に言える、助けてもらったら『ありがとう』と言える」、「逆に迷惑をかけられても、助けてあげられる、許してあげられる」、そんな子に育てるのが教育ではないかと思います。
また、子どもだけでなく、このまちが、そんな精神で助け合えるまちであってほしいと私は思っています。
このことについて教育を統括する教育監に問うたところ、
「私も現場ではそのように子どもたちに伝えてきた」と、私や娘の感じた条文への違和感に理解を示してくれました。
二十歳の若者が共感するだろうか
この憲章は、冒頭に書いたとおり、堺市の二十歳の集い(成人式)で代表者が朗読しています。
果たして現代の若者が、この憲章を心から「そうだ!」と思って朗読できるでしょうか・・?
私は二十歳の集いを所管している子ども青少年局長に問うたところ、
あっさりと「私も少なからず違和感を持っております」と答え、しかし「今あるものですので、使っていたということ、ただそれだけのこと」と、集いでの利用を否定はしませんでした。私からの突然の振りだったので、明確に否定するような答弁はできないでしょうが・・、
ご自身が違和感のある内容なんだったら、子どもに読ませることにも違和感を覚えてほしいですね。
市民憲章の今後
最終的に市長の見解を問うと、「社会環境の大きな変化を踏まえて、より共感される内容であることが望ましい」とした上で、「市民憲章に対する市民の皆様の思いや意見をお聞きしたい」と述べました。
おそらく今後、市民アンケートなどが行われることでしょう。
私は「市民憲章」が、市にとって絶対的に必要なものだとは思っていません。
しかし、せっかく多くの人が想いを込めて作り、いろんな催しで朗読するなど、市民が大事にしてきたものです。
大事にしてきたからこそ、漫然と使い続けるのではなく、しっかりとメンテしなければならないと思うのです。「大事にしてきたから、そのままで」ではなく。
「堺市長がこのまちをどうしていきたいのかがよくわからない。」と、市民からそんな声をよく聴きます。私もそう感じています。
そんな状況だからこそ、この市民憲章のリニューアルを通じて、市長と市民とが、心合わせをする機会になればと私は思っています。
堺市議会議員ふちがみ猛志
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