憲法論議の推進を求める意見書に反対した理由
前のブログにつづいて、私が反対した2つ目の意見書について書かせてもらいます。
それは自由民主党市民クラブから出された、「国会での憲法論議の推進及び国民的議論の喚起を求める意見書」です。
え!議論くらい、どんどんしたらいいじゃないか!
と思われ方もいることでしょう。
はい、私も憲法論議は大いにしたらいいと思っています。
改憲派も、護憲派も、それぞれ憲法に対する考えを議論し合えばいいんです。
ではなぜ反対したのか。
それはこの意見書が、「国(政府)から、国会や国民へ議論を呼びかける」よう、国(政府)に求めているからです。
憲法は国家権力を縛るものです。
国民が国家権力に課した制約であり、契約です。
国家権力の最高峰にある政府は、それを守る立場であって、その中身を変えたり、議論したりする立場ではありません。
だから、その憲法の在り方(変える・変えないや、その中身)について、政府が国民や国会に議論を呼びかけるのは、筋が違うと私は思うのです。
政府は粛々と、黙々と、それを守らねばならないのです。
国民が議論するのもヨシ。
国会議員が議論するのもヨシ。
政治家がそれらの議論を呼びかけるのもヨシ。
ただし、政府や、時の内閣総理大臣が、それを呼びかけるのは間違っています。その立場にはありません。そう思います。
だから、この意見書には反対したのです。
「憲法とはそもそも何たるか」については、「改憲か護憲か」とは次元の違う議論で、少なくとも憲法を論議する人たちは、そこまでは共通意識として持つべきだと私は思っています。
なお、この意見書の賛否については、私と小堀清次議員、長谷川俊英議員、共産党が反対、それ以外が賛成し、賛成多数で可決されました。
共産党の反対理由は「憲法論議より、今はコロナ対策」というもので、そこは私とは違っていました。
別に並行してできないものではありませんし、繰り返し述べますが、私は「議論はいつでも、いくらでもやればいい」と思っています。国民と、立法府の自らの判断で。
堺市議会議員ふちがみ猛志