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教育ムラの村民で結構!

先日、大阪市が全国学力テストにおいて、全国の政令市で最下位になったことを受け、吉村市長が、「学力テストの結果を、教員のボーナスに反映させる」旨を表明しました。

このことには、多くの批判が寄せられたのですが、
吉村市長は、この反対の意見を言う人たちのことを「教育ムラ」と表現し、揶揄しました。
そして、
「切磋琢磨を求められたら、強烈な拒絶反応」
「聖域」
とも言い、自分の意に添わぬ人たちに「既得権者」とのレッテルを貼ったわけです。

※吉村市長のツイッター画像

ツッコミどころが多すぎて呆れ返るばかりです。
学力テストは四月に行われます。つまり概ね昨年度の授業が影響しますが、それによって今年度の教員の評価をするんですかね?
「最下位ならば」と他市との比較を気にしていますが、「大阪市も伸びたが、他市も伸びて、依然として最下位」はマイナス評価で、「大阪市は点数が落ちたが、他市はもっと落ちて、最下位脱出」なんて時にはプラス評価なんですかね?
「新年度のクラスが落ち着かない時期に、過去問ばかりやらせる先生」
「成績の悪い子にはテストを受けさせない、休むように仕向ける先生」
こんな先生が増えやしませんかね?
少し想像を働かせれば、おかしいことだらけです。
そもそも!
学力向上は、公教育の目的の「一部」であり、
学力テストは、その学力を推し量る手段の「一部」でしかありません。
反対している人のほとんどは、
別に切磋琢磨していないわけでもなく、
学力向上を目指していないわけでもなく、
ヌクヌクと仕事しているわけでもなく、
公教育の目的を履き違えた、短絡的な発想を批判しているわけです。
教育は、
学力テストの点数を上げるためにあるのではなく、
子どもたちの個性を伸ばし、
生きる力を育み、
自己肯定感を養い、
そのために子どもに寄り添っていくこと。
私はそう考えていますし、
その考えを「教育ムラ」と揶揄するのならば、私は「教育ムラの村民」で大いに結構です。
学力向上を否定しているのではありません。
あるに越したことはないでしょう。
学力向上を目指す子どもが、その思いを叶えられたら、それをサポートできたなら、素晴らしいことです。
でも、
学力に自信のない子が、
運動で自信をつけられたり、
趣味で自分の居場所を見つけられたり、
他人にやさしくできたならば、
それも同じように素晴らしいことだと、私は思うのです。
そんな思いで、私は堺の教育行政に向き合いたいと思っています。

堺市議会議員  ふちがみ猛志

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