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堺の母なる川

定期的に近所の喫茶店で開催されていふ、堺市博物館の元・副館長、中井正弘さんの堺の歴史サロンに。

世界史の授業で、「世界の文明は、川のそばに発展した」と、誰もが習った話。
エジプト文明は、ナイル川。
メソポタミア文明は、チグリス・ユーフラテス川。
というふうに。
では、堺は?
堺の母なる川は、どの川???
大和川!
否!
正解は、石津川。
大和川はしょせん、江戸時代につけかえられた川。
一方の石津川。
堺の歴史と言えば、環濠都市が栄えた中世か、あるいは古墳時代を思い浮かべがちだけど、それより以前、弥生時代には、石津川流域には多くの集落が存在していた。
また、流域で須恵器が作られ、石津川の水運で、あちらこちらに運ばれたとか。
その後の古墳時代も、古墳群の多くは石津川(とその支流と、そこから伸びる運河)沿いに造営され、古墳に使われた巨石は、これもまた石津川の水運によって運ばれた。
だから、「石」津川!
という説もあるとか。
いやはや。
堺の歴史っていうと、堺区の専売特許のような気がすることもあるけど、その源流を辿れば、西区や南区、石津川流域に辿りつく。
勉強になった!
ちなみに、百舌鳥古墳群は石津川沿い。
では、同じく世界遺産登録を目指す古市古墳群は?
石川沿い。
こちらもやはり、古墳の造営のために、「石」が運ばれたからかな?
なんともリアルな説!
堺市議会議員  ふちがみ猛志
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