美しすぎる〇〇
前々から気分が悪かったことについて、書いてみる。
よくある「美しすぎる○○」。
私はこの手の表現が嫌いだ。
以下、誤解を恐れずに書く。
このところ、堺市議会での政務活動費の不正使用問題の発覚、百条委員会の設置、その開催、そして堺市の刑事告発や、民事訴訟等々。
渦中にいたのが、維新の小林よしか議員であったのだが、そのニュースがネットに掲載されるたび、このキャッチコピーを目にしてきた。
「美しすぎる堺市議」
なんじゃこりゃ。
彼女がどの程度美しいと感じるか、あるいは美しくないと感じるかは、人それぞれで、それはどうでもいい。仮に彼女が「絶世の美女」だったとしても、この表現はいただけない。
少なくとも、本来、政治家の資質を判断する上で、美人かどうかは関係ない。(残念ながら、現実として、選挙の当落には一定程度、影響すると思われるが)
まして、こうした不祥事が起こり、その問題の本質をえぐり、市民にそれを知らしめる責務を負うのがジャーナリストである。
その責任を忘れ、問題とは関係のない、こんな浮ついたキャッチコピーをつけていることに、憤りをおぼえる。
いや、ひょっとすると、こうした浮ついた表現で、若い政治家をチヤホヤしたことこそが、この問題の根幹にあるのかもしれない。
であればこそ、問題が起こった今こそ、なおさらこうした表現は慎まれるべきではなかろうか。
彼女自身も、このように容姿によって表現され続けていることは、おそらく不本意だろう。(不本意であってほしい)
小林よしか議員のこの表現については、いつも産経新聞が使っている。同社にはこんなバカな表現は、早々にやめて頂きたい。
そもそも男性政治家が「男前すぎる政治家」とか、「イケメンすぎる議員」などと表現されているのは、ほとんど聞いたことがない。小泉進次郎氏でも、そうは言われまい。
しかし、女性議員で「美しすぎる○○(市議、区議、、)」と呼ばれる方は、数多いる。
これって、女性政治家そのものに対する軽視に他ならないと思う。
だいたい、百歩譲って、「美しい議員」ならまだしも、「美し『すぎる』」って何!?
いくら吉永小百合でも、中谷美紀でも、北川景子でも、「美しすぎる女優」とは言うまい。
美しすぎる市議。
美しすぎる海女。
美しすぎるボクサー。
美しすぎる弁護士。
「美しすぎる○○」って検索したら、色々でてきたよ。
これを名付けた者たちは、これらの職業の女性は「美しくないのが普通」、あるいは「美しくともそこそこ」とでも言いたいのか。「すぎる」ってそういうことでしょ。
そう呼ばれている人だけでなく、その職業の女性すべてに失礼ではないか。
私も一人の政治家として、政治家は政治家として評価して欲しい。
きっと、海女や、ボクサーや、弁護士の皆さんも同じだろう。
頼むよ、産経新聞。
頼むよ、メディアの皆さん。
堺市議会議員 ふちがみ猛志