私も卒園しました
末っ子が卒園しました。
3人のどもたちがお世話になった保育園(正確には『こども園』ですが)。
まもなく中1になる娘が2年間。
それに入れ替わる形で入園した末の次男が6年間。
間にいる長男は、それに重なって4年間お世話になりました。(この期間、2人を連れて送迎していました)
私たち家族の合計8年間の保育園生活が終わったのです。
保護者である私にとっても『卒園』です。
夫婦の家事・育児の役割分担で、送迎は概ね私が担当してきました。
年間250日の登園だとして、送り迎え1日2回行き来していますから、8年間で4000回ほど保育園を行き来したことになります。
雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も。
「行きたくない」と泣かれたこと。
ぐずぐずされて、仕事に間に合わないと焦り、怒鳴ってしまったこと。
園まで行っても泣き止まず、後ろめたい気持ちで先生に預けて立ち去ったこと。
数知れずありました。
※2人登園で、上の子がぐずった時は、こんなんでした・・(^_^;)。
長女は時間に厳しく、お迎えの予定が5分遅れただけで、大泣きして先生に慰められていたこともありました。
保育園がイヤで「お迎えをもっと早く」と要求してきた息子が、次の日には「もっと遅く」と言い出したり。
お迎えに行っても遊びの手を止めず、なかなか帰ろうとしないことにイライラしていたら、大好きなお友達のお迎えが来たことを知っていそいそと帰ろうとする、そんな初恋のワンシーンに癒されたり。
気まぐれな子どもに、何度振り回されたことでしょう。
いやはや、長い間、私はよく頑張りました!!!
自分で自分を褒めたい!!!
そして、同じく卒園したパパ、ママの皆さん、本当にお疲れ様でした!!
お互いを称え合いましょう!!
そんな園生活で、子どもに寄り添ってくださった先生方には、心から感謝しています。
この8年間の園の送迎生活は、私の議員活動にも大きな影響を与えました。
子ども2人を連れて登園することがどれほど大変か、身を持って知っていますから、「兄弟は同じ園に」をしつこく訴えて、入園申し込みの際の兄姉加点を大きくしてもらいました。(別の園に行かされる可能性が減った)
引き続き、加点ではなく「優先入所を」と訴えています。
「送り迎えの大変さ」という点(+子育ての大変さ)では、高齢で育児をすることになりやすい里親家庭は、福祉の観点からも優先的に入所して然るべきと訴え、今年度それが実りました。
その日の朝に子どもが熱を出したらどうなるか、その混乱を経験したからこそ、病児保育だけでなく、「訪問型病児保育が必要」という結論に至り、こちらもしつこく訴え、実現するに至りました。
保育の現場を毎日見て、また、体験保育もさせてもらったからこそ、保育士さんが1人多いか少ないかが、どれほど子どもの環境に影響を与えるのかをわかっているつもりです。だから、堺市独自の保育士加配を守るべく、誰よりもその重要性を訴えてきました。
コロナ禍でも奮闘する保育士さんの努力を見てきたからこそ、医療関係者に支給された慰労金と同様に、「保育関係者にも」と訴え、実現しました(十分な額とは言えませんが)。
日々、先生方にあれこれお話させてもらい、「子育てで相談できる相手がいること」の有難さが身に沁み、子育て家庭が社会や行政と接点を増やせる取り組みを続けています。
また、同じ園に通うパパ・ママからもらう相談は、子どもと家庭の多様性を知る貴重な機会となり、私の視野を広げ、取り組みの幅を広げてくれました。
そして、こうした私の姿勢を評価してくださる保育関係者の方、保護者の方が増え、ご相談ごとが増え、さらに保育の現場について知る機会が増えるという、議員として有難い好循環も生まれています。
私は卒園し、保護者として保育の現場に行き来することはほとんどなくなりますが(たまに子どもを連れて遊びに行くくらいかな・・)、議員としては引き続き保育の現場の近くにいるつもりです。
社会はめまぐるしく変わっていますから、保育の現場や、保育にまつわる子育て事情も、数年すれば様変わりしているかもしれません。
8年間の経験は私にとって非常に貴重なものですが、その限られた過去の経験に頼り続けるわけにもいきません。ですから、保育関係者の皆様、保護者の皆様には、何かお困りごとがあれば、どんどんと私にぶつけてください。
これからも、「保育のことを最も知る議員」、さらには「保育園に通うパパ・ママ・子どもに最も寄り添える議員」となれるように、頑張って参ります。
その上で。
4月からは、中学校に長女を、小学校に長男、次男が通いますから、今まで以上に「小中学校の現場を知り、教員、保護者、児童生徒に寄り添える議員」となれるよう頑張ります!
堺市議会議員ふちがみ猛志