テストの点数を上げることよりも
先日、夫婦でオープンスクールに行った時のこと。
休憩時間になった途端に、息子が教室を飛び出して行ったので、「え!」と思って校舎から運動場を眺めていると、息子が楽しそうに中あて(ドッヂボールの簡単なやつ)をやっているではありませんか。
運動が苦手で、小柄な息子は、ろくにボールも投げられず、キャーキャー言いながら逃げ回ってるだけなんですが、満面の笑顔でした。
涙が出るような思いで、その様子を見ましたよ。
だって、「学校は全部嫌い」「楽しいことは何もない」と言って、しょっちゅう学校を休む息子にも、学校で楽しい瞬間があることを目の当たりにしたわけですからね。
集団行動が嫌い、運動が嫌いという息子が、友達10数人と楽しそうに中あてやってるんですからね。
聞けば、その週から、担任の先生がうまく誘い出して、中あての輪に入れるように仕組んでくれたようです。
また引き続き行きやすいよう、周りが誘ってくれるよう、教室の座席配置まで配慮してくれたようで。
こういうことって、テストで少しばかりいい点を取ることより、息子にとってずっと価値があることだし、親にとってもずっと嬉しいことだと、私は思うんです。
学力テストの対策が上手な先生より、こういうことが上手な先生こそ、私は信頼するし、評価されるべきだと思うんです。
こういうことが、公教育の価値(のうちの大きな一つ)だと思うんです。
議会にいると、「学力テストの点数こそが学校や教師の価値基準だ」と言わんばかりの議論を聞かされることも、しばしばです。
教育現場の先生方や、教育委員会の職員の皆さんには、こういうことを期待する親や議員がいることも、知っておいてほしいです。
堺市議会議員ふちがみ猛志