斉藤りえさんの演説を聴いて
先日、偶然通りがかった難波で、参院選の街頭演説会が行われており、「筆談ホステス」として有名になった斉藤りえさん(東京都北区の前区議会議員)が弁士と知り、足を止めて、その演説会の聴衆となりました。
※群衆でよくわからない写真ですが…
斉藤さんは、聴覚障がい者です。
それも1歳のころから完全に聴力を失っているとのことで(このことは、後日Webで確認)、明瞭なスピーチができるとは思えず、「どうやって演説をするんだろうか」ということも、気になったのです。
実際に聴いてみますと、まず斉藤さん自身が演説し、(失礼ながら、やはり聞き取りづらいので)一定の文章ごとに区切った上で、それを横についた補助スタッフが、読み直すというものでした。
斉藤さんの話す言葉は、私には時折、単語の一つ二つが聞き取れる程度で、文脈全体を直接理解することはできませんでしたが、補助スタッフの読み直しを聴けば、当然のように100%理解できました。
また、補助スタッフの方は淡々と読み上げるわけですが、(単語は聞き取れないながらも)斉藤さん自身の発する言葉の節々から、彼女の情熱、そこに込めた思いを、十分に感じることができました。
例えが適切かわかりませんが、字幕の映画で、俳優の外国語で発するセリフは理解できずとも、そこから感情が伝わり、そして字幕で内容を理解できる、そんな感覚でしょうか。
さて、その演説を聴いて、私が改めて感じたのが、
一つは、わずかばかりの配慮やサポートで、障がいをお持ちの方でも、当然のように政治活動ができるということ、
もう一つが、その「わずかばかりの配慮」がないがゆえに、多くの障がい者が政治への参画を、始めから諦めているのではないかということ
です。
このことを感じて、堺市議会の会議規則に改めて目を通してみましたが、議員が補助員を同席させられるような規定は、どこにもありませんでした。
議場には、議員と、理事者と、議会事務局職員のみしか入場できず、その他の人が入場できる規定はないのです。
会議規則を作った段階で、障がいを持った方、配慮が必要な方(=配慮があれば健常者の議員と同様に活動できる方)が議員となることを、そもそも想定していなかったのでしょう。
私は「議長が必要と判断した場合は、補助員を議場で同席させられる」というような規定を盛り込むべきだと思いました。(今後、提案していきます)
堺市議会には、現在、補助員を必要とする議員はおりませんが、私自身、いつ何時、事故や病気で障がいを持ち、配慮を必要とするようになるかもしれません。
また、何よりも、そういう配慮規定がないがゆえに「自分が議員になっても、まともに活動できないだろう」と、立候補を諦めている障がい者がいるかもしれませんし、「障がい者に議員は務まらないだろう」と思い込んでいる有権者だっていることでしょう。
だからこそ、補助員の同席も含む議場のバリアフリー化については、あらかじめ(対象となる議員がいなくとも)その体制を整えておくこと、それを表明しておくことが重要だと思うのです。
例えば、子連れの方も、「託児室あり」と表記のある場所、あらかじめ「ある」とわかっている場所には、安心して出かけられますが、そうではない場所には「どうだろうか」と出かけるのに躊躇しますよね。
しかし、現実には、残念なことですが「緊急性がない」と判断されたり、多くの議員にとって実感がわかなかったりして、「事前のバリアフリー化」は、なかなか実現しにくいものだと思います。(私はあきらめませんが)
ゆえに、「ファーストペンギン」のごとく、政治の世界に進もうとされている障がいをお持ちの方々の存在は、きっと「政治のバリアフリー化」に一石を投じるでしょうし、その後には多くのペンギンたち、障がいを持ちつつ政治を志す方々が続くのではないでしょうか。
また、そうして障がいを持つ当事者が政治の場に増えることが、確実にその立場の人たちの生きやすさにも繋がってくると、私は思っています。
今回の参院選では、前述の聴覚障がい者の斉藤りえさんだけでなく、様々な障がい者の方が出馬されています。重度障がい者の方もいらっしゃいます。そんな方々の選挙戦にも、注目していきたいと思います。
国会議員は713人。
障がいをお持ちの方は、全国民の7.4%です(厚労省推計)。
この率を国会議員数に当てはめると、53人にもなります。
しかし、現実には障がいをお持ちの国会議員は、ごくごく少数です。
もっと当事者が議員になってもいいじゃないでしょうか。
堺市議会議員 ふちがみ猛志