府市連携とはそれほど重要なのか
こんにちは。堺市議会議員のふちがみ猛志です。
この度の堺市長選にあたり、知人から「維新でない市長になったときに、政令指定都市として堺独自の存在感を発揮できるのか」「維新が主流派の大阪府との関係はどうなるのか?」というご質問を頂きました。いわゆる「府市連携」というやつですね。
今回はそのことについて、私の考えを書きたいと思います。
府市連携とはそれほど重要なのか?
現職の永藤陣営(維新陣営)のチラシには、大々的に「府市連携で大きく成長・発展する堺」と打ち出されています。
府市連携ができれば成長する?できなければ成長しない??
府市連携とはそれほど重要なのでしょうか?
私なりの結論を申し上げれば、
「重要でない」とまでは言わないが、国との連携の方がよほど重要だと思っています。
理由は簡単。堺市が政令指定都市だから、国と関わる予算・制度・事業の方がよほど多いからです。
政令指定都市とは
そもそも政令指定都市とは、「都道府県の仕事の相当な部分を引き受けた市」です。
大阪府という中間自治体(市町村と国の間の都道府県)にいちいち相談せずとも、自分でものごとを決められる、自分でやれる、直接国に話ができる、というのが政令指定都市のメリットです。
※Wikipediaより画像を引用
はっきり言えば、「(多くのことについて)いちいち府と連携しなくてもいい」という立場なのです。
具体的に言えば、
都市計画決定、
国道・府道の管理、
教員人事、
保健所や児童相談所、
等々といった100以上の仕事を、大阪府から引き継いでいます。(保健所は中核市の時から)
政令指定都市になる前、これらの仕事を大阪府にしてもらっていた時は、いちいち大阪府に「ああしてほしい、こうしてほしい」とお願いせねばならなかったのです。
一方、大阪市のような古い政令指定都市は、非常に大きな権限と財源を持ち、大阪府の仕事と重複が発生していました(とされています)。二重行政というやつですね。だから、その調整(=連携)が必要だとされました。このことについては様々見解がありますが、少なくとも、堺市はそのあたりを大阪府とちゃんと整理してから政令指定都市になりましたから、その必要性もありません。
府との連携が必要になるケース
もちろん、「連携は不要」とは言いません。
たとえば、堺市内においても港湾管理や、府営住宅の管理は大阪府の業務です。双方、堺市のまちづくりに関わりますから、ここでは連携なり、相談なりが必要となるわけです。一般市における「市域において府がやっている仕事」と比べれば圧倒的に少ないものの、あるにはあるのです。
※堺旧港の管理は大阪府
また、市域を超えるような大規模イベントをする場合なども、連携すべきケースでしょう。
今回も永藤市長は、「G7貿易大臣会合の誘致成功」を府市連携の成果の一つとして掲げています。
https://www.city.sakai.lg.jp/shisei/sonota/2023G7/index.html
※市のホームページでの発表
ただこれも、国が大きく関わったことですし(というより最終判断が国)、万博しかり、オリンピックしかり、大規模イベントの誘致は、国との連携があってこそです。
国と府、それぞれとのかかわり
実際に堺市の歳入を見てみると、令和3年度決算で、
国庫支出金は1422億円、府支出金が255億円ですから、単純に見ても国への関わり・依存度の方が圧倒的に大きいことがよくわかります。
もっと言えば、その府支出金の大半についても、負担割合や、それぞれの事業の骨格を決めているのはたいてい国です。
国庫支出金以外にも、地方交付税交付金など国から出てくる財源はたくさんありますし、そもそも自主財源である市民税や固定資産税、軽自動車税等も含め、その制度を決めているのは国です。
よって、我が国の制度においては、望む・望まざるにかかわらず、国との連携は非常に重要にならざるを得ないのです。
その点においては、永藤市長になってから、国に陳情・要望活動に行くこともほとんどなくなりました。前市長までは毎月のように東京に出向いていましたが、永藤市長になってから公務での上京は4年で1回だけとか。
コロナ禍の影響もありますが、さすがに少なすぎでしょう。「国との連携」の意識が希薄なことが窺えます。
維新でないと府市連携できない?
私がもう一つ強く指摘したいのが、そもそも「維新の市長じゃないと、維新の知事と連携できないの?」ということです。
大阪府知事は「大阪全体のために尽くす立場」でありますから、堺市長が誰であれ、必要な時には連携してくれるものだと私は思っていますが、違うのでしょうか。
これはよく、全国各地の知事選・市長選で自民党系の候補者が「国とのパイプ」を掲げていますが、それも同じだと私は思っています。
まさか、堺市の市長が維新でなくなったからと言って、吉村知事が堺市に差別的な扱いをするとは思えません。(以前、橋下知事は差等補助で差別的?と思われる扱いをした・・という事例もありますが)
もしも永藤市長が「維新の市長じゃないと、維新の知事とは連携できない」と考えているのならば、「維新ではない市民」はそんな市長と連携させてもらえるのでしょうか。差別的な扱いを受けることはないのでしょうか。
また、仮にその理屈に立つならば、維新の市長を選ぶと、もっと大事な国との連携ができなくなってしまいます。
いや、まさか永藤市長もそんな風には思ってないはずだ、と私は思っています。府市連携は必要に応じてすればいいし、維新であろうもなかろうと、首長同士の意思次第です。
府市連携の懸念
一方、この4年間の堺市政を見た中で懸念するのが、「府市連携」の名のもとに、堺市の独自性が損なわれることです。
大事なことは大阪府と一緒に決める、一緒にやる。
聞こえはいいですが、それは時として「大阪府の言いなり」と紙一重です。なんといっても、永藤市長から見れば、吉村知事は上司のような存在です。選挙で公認をくれた人、政治家としての生殺与奪権を握っている人です。(このあたりは「首長は無所属であるべきだ」という私の考えにもつながっていて、後日ブログで詳述したいと思います。)
一例に過ぎませんが、たとえば観光です。今年度、大阪府・大阪市とつくる大阪観光局の負担金が倍増しました。その一方で堺観光コンベンション協会の予算は減っています。
大阪府・大阪市と一緒にやることは強化し、独自にやることを減らすとなれば、そりゃあ独自性が弱まるに決まっています。
何も一緒にやることを否定しているわけではなく、その『バランス』が大事なんだろうと思っています。
(良い悪いは別として)国と泉佐野市、兵庫県と明石市のように、時として市民のために毅然と市長が立ち向かえば、市の独自性、市の存在感は増しますよね。
堺市はそのバランスでいえば、ずいぶんと府市連携(というより、府市一緒路線)に傾いて、独自性・存在感がなくなっているように思います。
それが「市長の顔が見えない」と言われる一因だと私は思っており、私はもう少しぶつかってでも、堺市民の想いを大きな声で発せられる市長であってほしいと思っています。
この府市連携と独自性のバランスも、今回の市長選挙の争点なのかもしれませんね。
堺市議会議員ふちがみ猛志
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