日高少年自然の家の廃止議論で看過できなかったこと
先週の堺市立日高少年自然の家の廃止が本会議で決定しました。これにより堺市は、「宿泊型野外活動教育施設を持たない唯一の政令市」となってしまいました。
この施設についての私の意見は、12月24日にアップしたブログ「日高少年自然の家と異例の越年議会」で、ある程度書かせてもらいました。
その後、1月11日の健康福祉委員会で再び議論が交わされたのですが、見れば見るほど当局の杜撰な対応が明らかになり、それはそれは見るに堪えないものでした。
ツッコミどころが満載だったのですが、その中でどうしても看過できない答弁があり、本日開催された「育ちと学び応援施策調査特別委員会」の質疑で、それを取り上げました。
それは「施設の利用者に占める堺市民の割合が約30%、市外の方が約70%」を廃止理由の一つに挙げたことです。
要するに、「堺市民の税金の多くが、市外の子どもに使われることは問題」だと言うのです。(と、私は受け取りました)
この論理は、廃止に賛成する維新の会の賛成討論の中でも明確に使われ、追認されました。
また永藤市長も、この廃止を説明するツイートの中で「市民利用も約30%」と記し、この論理に乗っているように見えます。
一見、当然のようにも聞こえる主張ですが、果たしてその考えでいいのか、とりわけ子育て支援や、教育行政がそれでいいのか、私は強い違和感を持ち、不安を覚えました。
まず永藤市長や、市の担当課は、日高の廃止後の代替施設として、大阪市立、神戸市立、滋賀県立等の施設を例示しています。
彼らは「市税が、市外の子どもに使われること」を否定しておきながら、他市、他府県の税で運営される施設に乗っかるというのです。
なんと、厚かましい話でしょうか。呆れるばかりです。
自分はよその自治体の子にお金を出すことを問題視するけど、よその自治体には出してもらう。大いなる矛盾です。(大阪府立の淡輪と貝塚の施設だけなら、姿勢としては一貫しています。私たちも府民ですから。)
『市外の利用率が高い。市外の子にお金を使うのは嫌だ。』
他の自治体も、このような考えに立ってしまえばどうなるでしょうか。
大阪市立信太山青少年野外活動センターも、利用者の半分以上が市外の方だそうです。
日高が廃止され、当局が勧めるように堺市の子どもがここに流れ、大阪市から見た「市外利用率」が増え、それを理由に大阪市が「やめる」と言い出したら…、松井市長や大阪市会議員が、「堺市民の利用が増えた、大阪市民の税金を使うのはおかしい」と言い出したら…、永藤市長や、子ども青少年局はどうするのでしょうか。
児童自立支援施設である大阪市立阿武山学院には、堺市の子どもがお世話になっています。それがおかしいという議論があるでしょうか。
(堺市はその分の措置費を負担していますが、それは日高で言うところの利用料であり、設置・運営コストの多くを大阪市が負担しています)
本市の施設等でもそうです。
大阪府から移管を受けた、泉ヶ丘の大型児童館「ビッグバン」があります。
確認すれば、堺市民の利用率は約23%とのこと。
指定管理料は日高少年自然の家とほぼ同額の5500万円(想定)、数十億円の施設更新費用がかかるのも同じです。にもかかわらず、永藤市長は大阪府からこの施設の移管を受けています。これで永藤市政の姿勢は一貫していると言えるでしょうか。
あるいは、よもや、これも市外利用率の高さを理由に廃止する気でしょうか。
本市が設置している殿馬場中学校夜間学級には、他市の生徒が大勢いますが、この割合が増えたら、廃校にするのでしょうか。
堺市立総合医療センターの救急患者のうち、他市の患者の比率が上がったら、救急医療をやめてしまうのでしょうか。
堺市は堺市の子どもだけ、大阪市は大阪市の子どもだけに税金を使えばいいのでしょうか。
国は、日本人の子どもだけにお金を使えばいいのでしょうか。
日高において、堺市民利用率が下がっても、その減った分は他市の施設に流れ、他市の施設の市外利用率が上がる要因となっているはずです。それは、宿泊型野外活動教育施設という分野において、「持ちつ持たれつ」が加速しただけです。
これの何がダメなのでしょうか。
「子どもは社会の宝。子どもは社会全体で育むもの。」
それを口酸っぱく言い続けてきたのが、子ども青少年局です。
子育てや教育における、自治体間の持ちつ持たれつを否定し、自己完結型の子育てを目指すのでしょうか?
それとも、持ってもらう分はいいけど、持つのは嫌だと、本市はそのような身勝手な姿勢に転換したのでしょうか?(←ジャイアンの「お前のものは、俺のもの。俺のものは俺のもの。」と同レベル!!)
いずれにしても、あまりに悲しく、あまりに了見の狭い話です。
そこで私は、改めて日高少年自然の家の廃止について、「市外利用率が高いという『比率』が理由なのか」と問いました。
さすがに矛盾を突いた後での問いでしたから、当局は、「市内・市外の『比率』に関する答弁は、あくまでも現状を述べたのみ。直接的な理由ではない。市内・市外問わず、利用者の『絶対数』が下がっていることが理由」と答弁しました。
廃止議論では、再三再四、『比率』について答弁してきたわけですから、これは、実質的な答弁修正だと、私は受け止めました。
日高少年自然の家の議論では、理事者にとっては、かなり厳しい質疑が繰り返されました。この廃止、少なくともこの「拙速な」廃止は、もともと子ども青少年局の本意でない部分もあったのではないか、市長の無理難題によって矢面に立たされてしまったのではないか、と私は感じています。
ゆえに、苦しい質疑の中で、とっさに無理くりひねり出してしまった論理が、「市外の比率が高い」だったのだと、私は見ています。
それはこれまでくどくど述べたように、とりわけ子育てや教育という、他自治体との「持ちつ持たれつ」によって成り立つ分野においては、決して持ち出すべきものではなかったと思います。(ゆえに、子ども青少年局は、実質的な修正に応じたのだと思います)
これを受け、子ども青少年局長に対して、子育て行政にどう取り組むのか、改めてその理念を問うたところ、
「子ども青少年は、社会全体の宝」
「全ての子どもの人権が尊重する」
「地域社会全体で子どもの健やかな育ちを支える」
ということを、部下が用意した原稿だけでなく、自分の言葉で力強く語ってくれました。
「堺市は堺市の子どもだけに」という当初の日高の廃止議論で見られた発想を、明確に否定するものです。
私はこの言葉を信じたいと思いますし、子ども青少年局だけでなく、特別委員会に同席した教育委員会の理事者にも共有してほしいと思いました。
「私が、私の子どもを育てるんだ」というのと同じように、
「堺の子どもは、堺市が育てるんだ」という心意気やヨシです。
「我が家のお金や労力は、我が子のために」というのと同じように、
「堺市の税金は堺の子のために」というのも、『一般的には』その通りでしょう。
しかし、だからと言って、
「我が家の子以外、よその子のことは知らん」と言うかのように、
「堺市以外の子に、税が使われるべきでない」と言ってしまうと、
きっと、我が子も、そして堺の子も、健全に育てていけなくなるでしょう。
健全な子育て・教育は、家と家、地域と地域、自治体と自治体の枠を超えた、助け合い、支え合いによって成り立つものです。
この当たり前の理念が、堺市の子育て・教育行政において決してブレることのないよう、今後も強く、しつこく主張していく所存です。永藤市長もその理念に立ってくれるようになることを願っています。
堺市議会議員ふちがみ猛志